最近のわたしのアニメ事情

〜「マクロス」から「アンダルシアの夏」まで〜

アニメを見ているとき、わたしはわたしが孤独であったことを忘れる

たまに熱心にアニメを見ることがある。そういうときは、つかれているときなのかもしれないし、欲望のやり場がないときなのかもしれないし、現実から逃れたいときのなのかもしれない。あるいは、平凡なときなのかもしれない。

さて、わたしにとってアニメといえば、「新世紀エヴァンゲリオン」である。そのため、わたしがアニメを見る際には、どのようにしてアニメというものが「新世紀エヴァンゲリオン」に至るかという過程を気にする。そんなわけでわたしは古いロボットアニメを見ることが多い。「マクロス」についても、エヴァの庵野監督が「トップをねらえ!」のインタビューで「マクロス」について言及していたので気になっていたから手にとってみた。

さて、「超時空要塞マクロス」の第一印象は、絵が古めかしい、というものだった。なにしろ1982年の作品である。とはいえ、ストーリーが進むにつれ、その印象は払しょくされていった。「マクロス」は第一にヒューマンドラマである。キャラクターの表情は、なかなかにゆたかである。もちろん、アニメとは省略の芸術であるから、その記号的手法がうまく機能しているのだともいえるが、特に早瀬未沙とリン・ミンメイの表情からくみとれるものは多いのだ。

そう、「マクロス」は宇宙戦争モノであると同時に、恋愛モノでもあるのだった。それも最後まで三角関係なのである。最初は主人公の輝がミンメイに振り回されるのだが、終盤は輝が2人のヒロインを振り回すのである。正直、ハッピーエンドなのかわからない。もちろん、感動的なシーンはいくつもある。しかし、主人公とヒロインたちとの気持ちの行き違いがしばしば、(もしかしたら最後まで)生じるのである。それでも、「マクロス」は心温まる物語だと思う。きっと、恋愛とはその過程が楽しいのだ。

すこし感傷的になってしまい、マクロスワールドにドはまりしそうだったので、気になっていた「茄子 アンダルシアの夏」を見た。自転車レースのアニメである。スペイン一周レースが舞台だ。わたし自身、自転車ファンということもあり、ぐいぐい引き込まれ、主人公のペペに感情移入した。ペペは、ついていないやつかもしれない。だが、ペペは、結局、自分の運命をひとのせいにはしない。ペペは、ペペなりに、たたかう。その姿勢が清々しかった。

ついつい自分を、自分の幸せ具合をステータス化したがるのが人間というものだ。きっと、自分は、幸せでも不幸せでもない。瞬間瞬間に、ステータスなどない。あるのは、気持ちの流れだけだ。

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