つまらなすぎて死ぬ

たばこの小箱が愛しい
吸ってはだめ
吸ってはだめ
つかれてしまった
特になにかしたわけではないのに

舌にしみこむ緑茶
今日はぐっすり寝ていて
朝ごはんをfastしてしまった
ああ
ああ
なにをして生きたらよいやら
わたしは仕事が苦手だ

ギターの練習をするのも
体力がいるもの
わたしの目は死んでいる
雨がしとしとと降り
わたしの心は
無反応となる

裸足でもなんとか過ごせる
わたしはどこへ向かっているのか
この日々はいつ変わるか
わたしは少しずつ
年をとり
わたしは
世の中を決めつけていくのだ
わたしの心が狭くなって
いくのなら
わたしはそんな狭い心に
とらわれる必要もない

ぼくはここだ来てくれ

さけのんでねむくなる
洗濯籠はあふれかえる
綿埃は日に日に大きくなる
ぼくはあなたのことを思う
玄関の花が最後の力をふりしぼる
ぼくは映画を見る
10リットルのごみ袋がなくなる
夜が深まる
あやまってクリアファイルで手を切る
しかたなく皿を洗う
ギターをみがく
ぼくはコーヒーを淹れる
ぼんやりする
ぼくはあなたが好きだと思う
So what?と思う
But, 好きだと思う

心の川ゆるやかに流れる
パソコンを前にまどろむ

Helpless Man

コーヒーを呑んでいたら23時30分になっていた。今から3時間30分勉強をしたとすると、夜中の3時になってしまうが、そこまでしたら翌朝起きられないだろう。

22時過ぎまで映画「カンフーハッスル」を観ていた。とてもよかった。プロットはシンプルだが、肝心なところを押さえているならばシンプルでもグッドだ。子ども心をくすぐるなにかがこの映画にはあると思うが、そもそも子ども心というものは子どもに限定されるものなのかということを疑問に思った。監督・主演のスティーヴン・チャウはぱっとしない青年役を演じるが、この映画の撮影時に、彼は青年と呼べる年齢ではもうなかったはずだ。

話はぼくのことに戻るが、昨夜は珍しく父親が足利まで来て、一緒に夕飯を食べたあと、父は帰路につき、ぼくはバーに居座って飲み続け、結局帰宅したのは3時ごろだ。

今日はまったく起きる気がせず、起きたのは15時だ。16時から17時まで罪滅ぼしに自転車に乗った。その後喫茶店に行き軽く夕飯を食べ、DVD3本を借りて戻ってきた。それで「カンフーハッスル」を見ていたというわけだ。昨夜バーでコーヒーを頼んだら、電動のコーヒーミルが動かず、コーヒーを飲めなかったので、今日は風呂上りに自分で豆を挽いて淹れた。

2週連続の土曜出勤はさすがにこたえたみたいだ。こたえたみたいだというより、いやだったというのが正確かもしれないが。来る水曜日はお休みなので、そこで休みたい。休みたいというか自転車に乗りたい。

むなしい気持ちになるときがある。ほぼ毎日だ。昨日より今日はよくなるものだろうか。昨日より今日はひどくなるものだろうか。今日は昨日と同じだろうか。クオリティーオブライフ。人生のクオリティーってなんだ。

明日への不安。明日へのわくわくより明日への不安のほうが大きい。うーん、そんなに不安になることがあるのかな。ただぼんやりとした不安、というやつ?根拠のないわくわくに懸けてみたい。

相変わらず夜は寒いけれど、だんだん暖かくなるだろうから、ぼくのノーエアコンライフも苦しい時期を終えるだろう。会社の同僚が来月で会社を leaveすると人づてに聞いた。あれこれ話をしていただけに、すこしさみしくなるが、ぼくはぼくで、ぼくのペースで生きていきたいと思う。人にはそれぞれ、「やめどき」というのがあるのだと思う。

なにも本音を言いたくないという本音。「だれにもわかってもらえない」というぼやき。コミュニケーション不足?ぼくは脇役。ぼくは脇役。いやむしろ舞台上にすらいない。でも観客ではない。ぼくは外でなにもしないやつ、そんなやつ。

Always Feeling Sick

ネカフェにいる。作業をするために来たはずだが、今のところ、ポッドキャスト視聴、夕食、喫煙を楽しんだだけである。

たばこを吸うときにいつもほとんどいつも後ろめたい思いがする。もっと言えば、「たばこを吸う自分なんてくそだ」と思うのだが、自己嫌悪に陥りながらたばこを吸うのは不健康だ。吸うなら「ま、吸いたくなるときもあるよね」とのんびりかまえて吸ったほうがいい。

今日の朝はあまり早く起きれなかったので、必要なルーティーンのみこなして家を出た。昨夜弦を張り替えたギタレレを持ってオフィスに行った。オフィスもスーツもあまり好きではないのだが、なにかいい代替スタイルがあるのかというと、無職になる以外に思いつかない。好きな恰好をして好きな時間に仕事をして十分なお金が稼げるのなら、それは almost heavenな気がする。かつてぼくは「自分は給料をもらいすぎている」と思っていたくらいにはお金が嫌いだったので、今の自分が「あぁ、給料が安い、金がほしい」と思うときに、過去の自分の考えを思い出して笑ってしまうことがある。でも過去の自分も正しいし、今の自分も正しいのだと思う。

帰り際に、「これ以上(顧客からもらったドキュメントを)読んでいたら病気になってしまう」と冗談を言ったら、隣から「もうすでに病気じゃん」と突っ込まれた。なるほどぼくはすでに病気で、思い起こせばいつも病気なのだ。

自分の立ち位置を他人と比べる必要はないと思っているが、自分という人間は、時に自分より力のある人間から抑圧を受けていて、時にその恵まれた環境にあぐらをかいて自分より弱い立場の人間を罵倒していることがあるのだと思う。たまには周りを見渡す態度も必要だろう(あれ、矛盾?)。なにもかもあたりまえだと思っていてはいけない。無理にがまんすることはなるべく避けていいと思うし、逆に軽はずみな気持ちで周りの人にいやな思いをさせているのなら、そういった行為は慎むべきだ。

今日は3時間勉強するつもりであったが、無理ゲーな感ありだ。一体なんのために勉強などしているのだろうか。昼間に睡魔に襲われてまで。フランス語の詩を読むためか。ドイツ語の哲学書を読むためか。自分に合う英語の本を読んで頭を休めるためか。いつかコーランを読むためか。I don’t know why.

夜は冷える。起きているだけでもちょっとつらい。昼間がここのところ、だいぶ春っぽくなってきたので、すこし救われた気がしている。ぼくは夏が嫌いなのだが、とりあえず春には来てほしい。花見に行きたい。一緒に花見に行きたい人がいる。

家では特に歌う以外に言葉を発しないが、オフィスではぶつぶつ色々話しており、最近自分の言動にますます皮肉が増え、下手をすると嫌味ばかり言っている気がする。困ったな。困っているから嫌味を言っているのかな。他人のことをばかにしているのかな。ひとりえらそうにしているのかな。恵まれた環境にあぐらをかいているのかな。ある程度はそうなんだろうな。

「おまえには地獄がお似合いさ!」

「おまえは地獄というが、早計だよ。このビルは何階建てだと思ってるんだい。地下1階くらいで文句を言ってもらっては困るね。」

いったいなにがしたいんだろうな。こういう問い自体が間違っているのかもしれないけど。すでにやることはやったのかもしれない。だから「飽きちゃった」のかもしれない。でもここで「増やすな。捨てろ。」の精神が正しいのかもわからない。捨てるならアパートと自転車とギターと本とたばこと酒を捨てる感じになり、それはそれで心痛むけれど、「それで?」という気にもなる。そんなに人生とはユニークなものだったのだろうか。生きて死ぬということは誰にも共通なことなのではなかったか。

I always feel good. 本当?アラビア語では、元気ですと言うとき、「神様のおかげで」というふうに表現するのだが、「神様のおかげで」と切り出すのなら、ぼくもきっと「元気です」と言うと思う。ぼくが元気がないと言っているのは、あくまでぼくの目線から言っているだけであって、ひとりの人間として元気かどうかと問われれば、「いやまぁ、元気だけどさ、元気だけどね、元気なんじゃない」というような答えになると思われる。

小春日和

目の前にパソコンがあるのに、ブラウザのアップデートがしばらくかかりそうなので、スマホから書く。

今日はここのところ一番のマイルドな天候で、全然寒くない。窓を開けているくらいである。ちょろちょろと雨が降っている。

相変わらず仕事は嫌いだが、日によって気分はまちまちだ。今日は比較的よい気がする。天気のせいかな。嫌なことを続ける体力がついたのかもしれない。そんな体力に意味があるのかは知らないが、わたしは無意味なことが嫌いではない。嫌なことは、続けてもやめてもどちらでもいい。嫌なのだから。

ギターがすこしだけ上手くなった気がする。コードチェンジのときに音が連続しているように聞こえるのだけど、これが決まると楽しい。

たばこを計4本吸った。やめるかやめないかはともかくとして、やめることを強制されるのは避けたい。わたしは喫煙が違法にならないかぎり、吸いたくなったら吸いたいのである。

最近プログラミングをする時間が割と確保できているけど、自分はプログラマーになりたいのかなぁと思う。憧れてはいるけど、それは自分の vocationではない気がする。まあ、自分の仕事が vocationであるかを判断するのは今のところ自分しかいないから、違和感のほうが大きい仕事は避けたほうがいいということにしかならないが。

「本当はなににもなりたくない」

やっとブラウザのアップデートが終わった。

まとまりのない日記だなぁ。ビールが呑みたい。必要なのは変化、それとも日常?そろそろ変化があってもいい気がするな。

わたしはわたしの境界を越えていく。

Un Unhappy World

灰色な気分でこの記事を書く。特になにかあったわけではないけれど、心の天気というやつだ。

事務所にいると疲れるので、あまり行きたくないのだが、それはぜいたくというやつなのかもしれない。特にプログラミングをする場合、事務所に行くこと自体にあまり意味がない気がする。

今日は帰宅後用事がなかったので、いつもどおりギターを弾いてから、牛丼屋で夕飯を食べた。家で食べようと思っていたけれど、台所に洗い物が残っており、家飯はさぼろうと思った。

幸福度の上下には、なにかをする・しないも関係するけれど、受け手の心理的態度も重要だと思っている。幸せを拒否するひとが幸せになれるのかは疑問だ。わたしは幸せを拒否するのも好きではあるけれど。

毎日死にたいと思っていてはいけないとも思うけれど、死にたいと思うこと自体は、そう思いたければ思ってもいいのではないだろうか。「死にたいと思ってはいけない」と思うこと自体がストレスなのだ。頭のなかくらい好きにさせてほしい。

「ひどくつまらないのはわたしのせいなのだろうか」

「世界に変わってほしいとは思わないけど、自分くらいは変わりたい」

I want…

「あぁ世の中。嫌いな世の中。離れられない世の中。放っておきたい世の中。」

皿洗い。お風呂。花瓶の水を替える。爪を切る。なんだなんだなんだ。生きたくない。生きたくない。でもわたしがなにを考えようと、わたしの精神はわたしの生命の飾りでしかない。わたしはわたしの精神を突き放す。

「おまえには地獄がお似合いさ!」

なんにもできない

なんにも言えない
ただ景色を見ていた
弾かないギターを持ち歩いていた
天気がよかった
あなたは楽しそうだった
わたしは自分がなにをしたいのか
わからなくなった
なにもしたくなかったのかもしれない
わたしはまた自分の殻に閉じこもりたくなった
でも自分は自分の居場所ではない

自己批判には果てがない
自己批判は簡単だ
わたしは価値のない人間だ
と言えばいい

悩むくらいなら泣け

Business Trip to Osaka

大阪行きの新幹線に乗っている。とあるカスタマーの事務所で作業があり、出張要員に選ばれたというわけだ。10時20分。眠い。昨夜は勉強をまったくせずに、中華料理屋でビールを呑んで夕飯を食べ、風呂に入って寝た。

5時には起きたので6時間は寝たことになる。たぶんこのごろ5時間くらいしか寝ていない。2時間の勉強タイムが深夜帯に食い込んでいる。しかも帰宅してすぐ勉強ならまあいいのだが、20時までに帰れたらギターを弾いているので、勉強タイムの開始が22時とかになり、結局寝るのは1時ごろになってしまうのだ。

ビージーズの「若葉のころ」を弾き始め、練習中の曲が7曲に増えた。これ以上増やすと手に負えないので、まずはこの7曲をそれなりに弾けるようにしたい。毎日ギターをやるのは無理ゲーだと思っていたが、意外と毎日でもいける。会社の昼休みにもギタレレを鳴らしている。ぼくは一度挫折してギターをやめているので、今度こそはという思いがあるのかもしれない。まあ、一時的なマイブームである可能性もあるけれど。飽きっぽい性格なので。

今ほしいものは12弦ギターで、4月になって新入社員が入ってきたら買おうと思っている。既に自宅にはアコギが2本とギタレレ1本があるのだが、もう1本なぜかほしくなってしまう。自転車4台持っていた時期もあるので、ギター3本はぎりぎりリミットかなという気がしている。自分への言い訳であるが。なぜ12弦なのかというと、ぼくの好きなミュージシャンであるRenaudが、若いときよく12弦で弾いていて、それがかっこいいというただそれだけの理由である。ヒーローのマネをするのはぼくの幼少期からのクセだ。大して大人になっていない。

そろそろ京都。眠気が増す。さっきまでRebuildというポッドキャストをきいていた。テック関係の番組で、最近よくきいている。なにかこう、人生、それもキャリアを中心軸にとらえたそれは、自己実現のプロセスというよりむしろ、権力構造のなかでの歯車としての個人のささやかな抵抗なのではないかという気がしてくる。夢や目標を追いかけることは、追いかけたくて追いかけているのか、追いかけさせられているのか、一度落ちついて考えてもいいのかもしれない。考えなくてもいいといえばいいのだけれど。

ぼくについていえば、長期的な夢や目標は持たなくなってしばらく経つ。就職してからそういうものは捨てた。何者かになることより、今日いかに個人としてシステムに反抗するかが重要だと思っている。具体的にはその日やりたいと思ったことをやる。やりたいことがなければ家事を片付ける。疲れていたら休む。そんな感じだ。

「今日という日でも十分なんじゃないの」と思っているし、なるべくそう思えるようにしている。明日に宿題を持ち越さないほうがいいし、あんまりやりたくなくて、やらなくてもいいことはスキップしてかまわないと思っている。

あまり流されないこと。そして自分にはまりすぎないこと。本能を行動に移してみること。自分がドロドロしていたら、固まるまで待ってみること。

I’m shutting down. Thank you for living today.

汝再び家に帰れず

記事タイトルはトマス・ウルフの小説からとった。

昨夜からのことを書こう。昼過ぎまで川崎の子ども会の行事の手伝いをしていたぼくは、その後友人と飲んでおり、21時過ぎに足利に帰るため電車に乗った。北千住で館林行の電車に乗り、館林駅から太田方面の最終電車が23時31分に出る。

12時近くなって最寄り駅に着いた。そこでぼくはとんでもないことに気づいた。ズボンのベルト留めの輪っかにカラビナでくくりつけておいた自宅の鍵がカラビナごとなくなっていたのだ。カバンやポケットを漁ってみるが、出てくる気配はない。飲み屋とカラオケ店にも連絡するが、情報は上がってこない。鉄道会社の電話窓口は全てクローズしたようだ。万事休す。

ぼくは自宅の前でもう一度鍵を探したが、やはり出てこない。そのまま歩いてすぐのネットカフェに避難した。泣きたくなった。つかれているのかたばこ1本まともに吸えない。歯磨きだけしてリクライニングシートに横たわり、バンダナを顔にかけて、眠るよう努めた。意外と夜中も物音が騒がしく、夜のネカフェは修羅場だとは思ったが、電源、インターネット、飲み物と生活必需品はおおむねそろっているように感じる。

8時前に起きた。少し身の回りを片付ける。エアコンのせいか喉が乾いて痛む。そういえばここのネカフェはモーニングが無料である。これまで食べたことはなかったが、今日は非常事態である。トースト2枚を頂いた。パソコンの画面で現在の料金を見ると、深夜パックとなっており、いつもぼくがここで支払っている料金より安い値段が表示されている。まぁ、ぼくはここで夕飯を食べることが多いので、滞在費より食事代のほうがむしろ高くつくからなのだが。安い宿を求めてネカフェを利用するひとが多い理由もわかる気がする。

現在8時45分になるところ。鍵を探すより、壊して交換したほうが早そうなので、アパートの管理会社に9時になったら連絡することとする。今日は月曜祝日なので、業者がやっているかが問題だが、それは連絡してから考えよう。

「鍵のない生活はきみを自由にするか」

玄関に花を飾ろう

夜も更けた。仕事が長引いていたのでドミノ式に全てが遅れる。平日だろうが遠慮はしない。

玄関の花がエキゾチックな香りを放っている。いいことだ。これまで家に緑はまったくなかった。一人暮らしだと基本殺風景な部屋のなかで暮らすことになる。ひとに花をおくることはあっても、自分のために花を買うことはなかなかない。ぼくもこれまであまり花に興味はなく、今でもあるのかあやしいが、ともかくもこの殺伐とした部屋に花が必要だと思ったらしい。

今日は(たばこを)一服もしていない。また突如禁煙daysとなっているようだ。なにか目的があるわけではないが、たばこなしで過ごして体をすっきりさせようという目論見らしい。目論見に興味はないが、本能には従おう。吸う気がないのなら吸わないでおこう。

相変わらず毎日ギターを弾いている。明日も早起きしてネカフェのカラオケルームで弾こうと思っている。相変わらずへたっぴだし、ひとつの曲が満足に弾けないうちに次の曲へ手を出すので救いようがないが、まあ好きにやっている。いつも聴いていた曲を自分で弾けるとなると気持ちが盛り上がってくる。しばらく集中して行わないと上達しない面もあると思うので、飽きるまで毎日弾いていたい。

すごくねむい。今日は仕事がつらかった。仕事に一日のメインを明け渡してしまった感じだ(それが普通なのかな?)。どうにも勉強する気が起きない。ビールでものんで寝てしまいたい。

火曜日だというのにこのつかれ具合はなんだろう。つかれについて書く自分はあまり好きではない。つかれているのなら表に出てくる必要はない。今日はキーボードの打ち間違いがひどい。明日への遺言。なにかありますか?

「愛とはだれからも見放されることです」

Really?