夢想

ちょうど自分の番が来たとき
ぼくはこう言われたのだ

「天国、もういっぱいなんですよね、、」

ぼくはたぶん、深く考えずにこたえた

「あ、いいですよ、天国じゃなくても」

時間を見る

仕事の時間が近づいている
遠ざかってほしいと思う

仕事の間に
時間を見る
これ以上
進まないでほしいと思う
仕事が終わらない

仕事のあとに
時計を見る
日付がこのままだったら
いいのにと思う

起きなければならない

朝起きるのがつらい
わかっている
起きる理由がなにか
あるのだろうか
本当に大事な理由が

ぼくらは毎朝
今日
生きるか死ぬかの選択など
しない
そんな選択はまやかしだ
ぼくは手元も見ないで
生きる
を押す
目覚ましの音を切るように
目覚ましの音を切るときに

人間は生きるのみである
生きるということさえ
与えられたものだ
大事な借り物と
いえるかもしれない

朝起きるのがつらい
なぜ生きるのか
わたしの返答はこうだ

死ぬことが
人間の選択の結果である
ということが
あっていいのか
いや
そんなことはありえない
死とはただ
わたしたちの選択に
なんの関係もなく
向こうから
やってくるものなのだ

ゆえにわたしは
起きなければならない

日記という思い出 Jan. 11th

なぜかスマホの電源を切っていたのでMacから書くことにする。

朝は10時前に起きた。微妙な時間だが、特に予定もなかったので、起きる理由も特になかった。罪悪感のなさでいくとギリギリのラインだろう。スパゲティをゆでてガーリックソースをかける。粉チーズは切らしている。

本を読みつつ朝のルーチンをこなす。何が朝のルーチンだったかは思い出せない。皿洗いとか、歯磨きとか。

昼過ぎにパンを買いにちょっと外に出て、まあいい時間なのでそのままパンを食べ、コーヒーを淹れる。

部屋の掃除。寝室(そこで寝てはいない)も含め、ざっと掃除機をかけてやる。掃除は嫌いだが、床に物を置きがちなので、リセットするにはちょうどいい。換気をしつつ、ほとんど使っていない旧PC(Ubuntuが入っている)を起動し、たまっていたアップデートを走らせる。

気分が塞ぎ込んできたので、散歩に出ることにする。散歩帰りにスーパーに寄ったら、思いのほか人がたくさんいてびっくりした。まぁスーパーに寄っているぼくもぼくだが、みんな考えることは一緒なのかもしれない。

ここ数日、急にアイスランド萌えとなっており、オンラインのアイスランド語コースを受講する。パンデミックと語学の相性はそれなりに良いかもしれない。シモーヌ・ヴェーユの『根を持つこと』のフランス語版を読み進め、夕飯タイムとなった。

結局ビールを呑む。どうにも酒をスキップできない。

起きていてもすることがないので、そろそろ寝ることにする。もっと正直に言えば、起きているのがつらい。起きていてもろくなことをしていないので、寝て過ごす罪悪感といい勝負である。

Now I have to go

きみは消えたみたいだ
すくなくとも
ぼくの目には


台所に
あかりがさす
ぼくは
きみのことを
かんがえてしまった
太陽はきみよりも
おおきなそんざいでは
ないのか


もうすっかり
わからないのだけど
なにをあてにして
ひび
すごせばよいのやら

そんなわけで
ぼくはさけをのみながら
バイクの検索ばかりしている

きみに言うことは
特別持ち合わせてはいない
ぼくはこれまで
正直にも
つまらないことを言いすぎた

ぼくはきみのことが
好きでしかなかった

そんな関係があるものだろうか

どうしようもないひびを
みつめるべきなのだ

ぼくは
ちょっとなまぐさい
うみのにおいをかんじていた

First Day

ぼくは風呂場で
ひざをついて
包丁をといだあと
キウイフルーツをつまみに
びいるをのんでいた

初日からなさけない
いちにちをすごし
いきるかちとやらについて
かんがえるしかくすら
ないような気がした

ここのところ
即席ニヒリストと化してしまい
本当にちいさなことしか
あたまであつかえない

いだいさはマーケットで
高い値がついていて
あと100年くらい余裕で
さがりもしないだろう

ぼくはさいきん
やはりかくしんしたのだが
ぼくはいだいさをかうつもりも
うるつもりもない

こんなのはきっと
ふつうのにんげんの
ふつうの
スタートラインさ