ワープロ来たりて

待っていたワープロが届いた。早速出していじってみる。フロッピーに保存はできたが、印刷がなかなか難しく、うまく先頭から出力することができない。また、想像していたより気持ちデカイかつ重い。これを喫茶店で広げてカタカタやっていたら、、ヘンだ。

夕飯ファストも5日目に突入した。昼間くるしいが、夜はなんとなく慣れた。正直、慣れたらおわりだと思っているので、明日は夕飯を食べる予定だ。わたしは無駄を愛している。夕飯はひょっとしたら不要なのかもしれないが、あっていいものでもあると思う。端的に言えば、夕飯がないとホーム感が出ないのだ。ひとりぐらしでもそうだ。なんだかいつも以上にさみしい気がする。

効率化でいつか幸せになれるなら、効率化したらいいんじゃないか。

ひとりSMの彼岸へ

さきほどまで超時空要塞マクロスの第27話「愛は流れる」を見ていた。最終決戦の出撃前、一条輝がリン・ミンメイに彼の気持ちに気づかなかったことを詫びられて、さわやかに「いいのさ」と返す場面が印象的だった。

人生とはひとりSMなのではないかと思うことがある。自分をいじめる自分と自分にいじめられる自分がいる。人生とは修行なのではないかと思うことがある。自分を鍛えようとする自分と自分に鍛えられる自分がいる。

自分は少なくとも二方向に向かう。当然のように自分はもつれて進んでいく。どちらの方向も否定するつもりはない。しかしなんであろう、わたしはこの二極端を行ったり来たりするシナリオはもう陳腐な気がしている。

自分をひとつにしたいというのはごく自然な欲求だと思う。そう思うことも多い。だからこそのひとりSM化もある。結局、自分というのはつねに多方向的で不自由な存在なのだ。

自分とはワガママな恋人みたいなものなのだろうか。それならば言ってやろう。「いいのさ。ぼくはきみのことが好きだけど、だからこそきみには羽ばたいてもらいたい」

自宅という刑務所

昨日から日没後の食事を控えるという習慣を自分に課した。そのようなわけで夜にとてもお腹が空き、外出先で喫茶店に避難をしてお茶をしている。

たまに食習慣を変えることがある。2014年の夏から秋にかけてベジタリアンをしていたし、昨年の春から秋にかけて糖質制限をしていた。食習慣を変えるのはダイエットのためではない。お肉抜きで過ごす、あるいは炭水化物抜きで過ごす、その先の景色を見てみたいだけである。

日没後の食事がなくてもやっていけるかもしれないし、やっていけないかもしれない。大事なことは自分自身とのかけあいである。

頭痛がする。借りているDVDを返し、自動車税を払って、帰ろう。

作家の精子

おかねにならない副業をはじめようと思った。ぼくは作家になりたいと思っている。現状ぼくは勤めびとであるため、毎週土曜の午後3時間程度を執筆にあてようと決心した。足利市内の某カフェを作業場所にしようと思っていたのだが、今月はじめの連休中に行ったのみで、その後一度も行けていない。今はなぜか自転車屋さんの待ち時間にスマホからこの記事を書いている。

一昨日アマゾンでワープロを注文した。カフェなどでの執筆の際になにか道具がほしかったのである。ぼくは以前からワープロにあこがれていた。昨今であればキングジムのポメラなどが丁度よさそうで、ポメラを購入しようかと思っていたのだが、ワープロがまだまだネットで出回っているのを見て、この際あこがれていたワープロを買おうと決めた。シャープの書院のコンパクトモデルである。ワープロが届くなり、ぼくはそれで大作を書こう。届かなくても大作を書こう。

ぼくは作家の精子である。作家の卵と書こうとしたのだが、ぼくは卵を産まないのだ。せいぜい作家の精子である。まぁ、肩書きにこだわっているわけではない。書きものをする生活がしたいという、ただそれだけのことである。店長はまだお昼を食べているようだ。

(再掲)Second Life

Second Life

2017年12月
Kazuo Portalに発表
ブログkazuopoems Second Lifeに掲載していた詩にて構成

目次

  1. 継続
  2. いつ発つか
  3. 自分で作品をつくるとき
  4. ハッピーハッピーアンハッピー
  5. トレンド
  6. これからフロに
  7. いちにちはじまる
  8. なぜわたしはここに
  9. あなたにいいたいいわれたい
  10. 恵まれているかどうかなんて
  11. にげるんだてぶらで
  12. 窓の外をみつめ続けて
  13. 今日はめでたい日だろうか
  14. 自己紹介やなこった
  15. いちにちおわれ
  16. 新宿駅のどまんなか
  17. ぼくは何者
  18. ネカフェのこと
  19. 赤ん坊が

継続

おかねにならないから
役に立ちそうにないから
ときみはいうが
いきることは
おかねにも
役にも
立たないんじゃないか
継続
自分の流れ
自分の停滞
を感じるがいい

いつ発つか

いつ発つんだい?

ほんとはいつでもいいんだよ
いつまでとかじゃない
自分の感覚できめなさい
なにかを
はじめていい
やめていい
きょうを
すごしていい
あすを
むかえていい
きもちを
くさらせるな

自分で作品をつくるとき

わたしは
他人の作品にすがる
必要がなくなる
わたしもひとりの
人間であるような気がして
そしてわたしは
わたしを他人と比べなくなる

ハッピーハッピーアンハッピー

しあわせになるには
これが必要
というのはあなたの思い込み
ふしあわせになるには
あれがいつもセット
というのはあなたの思い込み

りゆうもなく
ふと
しあわせになるの
りゆうもなく
きづいたら
ふしあわせになっているの

トレンド

毎日
楽しく過ごそうぜ
の風が遠くからふきつける

わるくない
むしろただしい

それでも
その風にのらないぼくは
なんなのだろう

どこまでも
ひとのいうことを
ききたくないのだろうか

これからフロに

はいるのだよ
ながせながせ
ひたれひたれ

それから
でかけるのだよ
つとめにいくのだよ

だから
そのまえに
はいるのだよ

いちにちはじまる

いちにちはじまる
おわりのないいちにち
いちにちがおわるとき
ぼくはくやしい気持ちになる
おわったのか
ほんとうにおわったのか
ぼくのいちにちは
いちにちはじまる
どのいちにちなのかもわからないままに

なぜわたしはここに

いるのだろう

わたしは漫画喫茶にいる
実家近くの

たぶん
暇をつぶしているのだろう

たぶん
わたしの気持ちは閉ざされているのだろう

わたしはわたしの希望について
わたしのことばでかたりたい
でもいまのわたしはわたし自身を
軽く笑うことしかできない
まるで自信のない芸人のように

なんだかとてもかなしい
なくのにもだれかの許可が
いるのだろうか
ないているところを
だれかにみられなければ
ならないのだろうか

わたしはわたしを
おいこんでいるらしい
わたしは否定する
そんなことはない
でもひょっとしたら
だれかのたすけを
もとめているのかもしれない
わたしは
たすけをもとめるのが
へたすぎて
あげる必要のないベンチプレスを
あげているのかもしれない

わたしはわたしをおそれる
わたしはあなたをおそれる

必要なものは
必要なものは
いや
これ以上必要なものはない

ま、いいんじゃない、それで
そのように自分でいうことが
できたらそれでいい

ま、いいんじゃない、それで
そのようにあなたがいってくれたら
それでいい

あなたにいいたいいわれたい

窓をあけたのは
身投げをするためじゃない
窓ってあけてもいいよねと
青空に確認するためさ
外の空気をすうためさ
外の空気をすいながら
おんがくをきくためさ

あなたにいいたい
いわれたい

あなたのことを信じています
だからわたしを裏切っていいんです

恵まれているかどうかなんて

自分できめたらいいじゃないか
ほかのひとがくりかえし
あなたは恵まれているのよ
といっても
自分でそうだと思わなかったら
そうじゃないんだ

恵まれているかどうかが
ほんとうの問題じゃあない
恵まれているからと
それだけをただ信じて
現状をただただ看過してしまう
そんな態度はとりたくないのさ

にげるんだてぶらで

ああもう
たくさんだ
と思うとき
なみだがあふれて
しまってなんにも
かんがえられないとき
これまでの荷物は
もう気にしなくていい
てぶらでいい
てぶらでいいんだ
ここではないどこかが
ぜいたくだって?
そんなことはないよ
過去を延長し続けること
だってりっぱなぜいたくだよ
ここにいてもいい
でもここにいなくてもいいんだ
きみにはわるいねと思ってもいいし
思わなくってもいいんだ

窓の外をみつめ続けて

田舎の駅
古い車両のローカル線
これから海が見れるんだ

売店はなかった
おなかはペコペコさ
朝から電車に乗っているからね

イヤフォンも
ペーパーバックもあるよ
もちろんスマホも
だけどほとんどなにもしていない
考えていることもあまりないんだ

オンでもオフでもない
生産的でも非生産的でもない

おかねをはらって
座っているだけ?
そうかもしれない
でもさ
いつも見落としているもの
なんていくらでもあるんじゃないか

今日はめでたい日だろうか

たぶん
いや、そう願ってはいる

だが
わたしの調子はよくない
誰のせいでもない
わたしは雨の日が多いのだ

特別
救いもない
救いなど求めてはいない
静かに考える時間があればいい
そしてわたしはなにを考えている
わけでもない

しにたいと思っているのか
と問われたら
いいや
べつに
と答える
そして心では叫んでみるのだ
いきてたまるか
いきてたまるか
コンチキショー

自己紹介やなこった

いよいよ
何者でもなくなっていた
まえから
何者でもない
のだけれど
何者かになろうとしている
自分はいたのかもしれない
だけど今
世の中に煮溶けたわけでもなく
何者かが集まるなんか別の世界に
入り込んだわけでもなく
ぼくはすこし困った顔をした
だれもこのような感覚を
教えてはくれなかったのだ

いちにちおわれ

くるならこいよ
ネクストデイ

おれはすこし
荒れた気持ちになっている
かもしれない
荒れた気持ちになっている
かもしれないと思えるくらいには
穏やかな気持ちになっている

しにたいなんてぼやいてちゃあ
いけないぜ
もうしんだことにしてしゃあしゃあ
といきてしまおうじゃないか

新宿駅のどまんなか

で電車を待っている
なぜぼくはこのお馴染みの
駅にいるのだろう
たまたま出張だったからだが
ほんとうにそれだけかな

ぼくはやや高めのランチと
ランチよりやや安い
ペーパバックにおかねを
払ってしまったために
呑み歩くおかねを持っていない

だからぼくはこの
ちょうどいい夕刻に
プラットホームに立って
電車を待っている

昼にあったことはすでに
忘れつつある
ぼくはこのお馴染みの駅で
電車を待つことができてうれしい

ぼくは何者

ぼくをたとえば会社員だと
いうことは
ぼくが人間であるというのと
同じくらいに意味のうすいことだ

ぼくはたぶん作家ではないだろう
ものを書いておかねをもらったことはない

ぼくは自転車が好きだが
最近はたいして乗っていない
自転車乗りを名乗るのは気がひける

ぼくはたばこが好きだが
いちいちひとにアピールする
ことではないだろう

ぼくは酒呑みだが
ぼくはぼくのペースでしか
呑むことができない
あなたの横にぼくがいても
酒を注いだりしないでほしい

ぼくは以前よりクルマに
乗るようになったが
ただクルマに乗っているだけだ

ぼくはあなたにぼくの肩書きを
教えようとは思わない
カッコのいい肩書きなんて
持っていないのである
ぼくは肩書きをつけられると
不安になってしまうから
ぼくはぼくにたいして
肩書きでアピールしようとは
思わない
けど肩書きがないのはこれまた
不安だからついつい自分に
きいてしまう

ぼくは答える
ぼくはぼくのあこがれている
以外の何者かだ

ネカフェのこと

ぼくは1週間ぶりにたばこに
火をつけ
そしてブースのパソコンから
丼を頼んだ

ぼくはパソコンはあまり見ずに
たばこの煙をながめていた

丼をたべてから
ブログを更新しようと試みたが
かなわず
ぼくは18禁動画をストリームした

翌朝ぼくはまるでいつものように
すこし水を口にふくんだあとに
台所で腕立てをした

赤ん坊が

赤ん坊がしにたいなどとぼやくものかちからづよく起て二十六のぼく

(再掲)沈黙の宇宙

沈黙の宇宙

2017年1月
手書きにて3部作成
Facebookでも公開


クリスマスがことしもやってくる

この世で
もらうものは
すべてすでに
もらった
と思うのです
そうすれば
不安になることも
ないのです

幸福のハードル

感じられなければ
しあわせじゃない
なんて心細いじゃないか
生きているということが
しあわせさ

企業文化につけるクスリ

出された料理に
文句を言うことは
おいしい料理に近づくための
近道ではない

大いなる反抗

いやなこと、いやなことには
はやく直面してしまおう
そのときわたしのささやかな反抗は
大いなる反抗となって現れる
大いなる反抗は
なにも反抗のためだけに在るのではない

ザッツライト、ザッツロング

わたしを
まちがった方向にみちびいてくれる
ただしいなにかが好き
わたしを
ただしい方向にみちびいてくれる
まちがったなにかが好き

ひとの言葉らがあまたの拳となって

ひとの言葉らが
あまたの拳となって
ぼくのほおを撃つ
ぼくの言葉は力を持たず
ぼくはぼくを撃ったひとたちを
撃ち返すことはできなかった

ぼくはとても悔しかった
何も言いたいと思わなかった

アンチセベリティ

ぼくは
シビアさというものに
対しては
どこまでもシビアでありたいと思う

ながいながいぎょうれつ

しぬためのながいぎょーれつ
いきるためのながいぎょーれつ

ぼくも並んだことがある
どっちにもだ
ぼくは途中でやめてしまう
だからいつも最後尾から並びなおす

せいとし抜きの人生
一体どんな人生なんだ
先頭の人の顔はぼくには見えない
先頭の人の声はぼくには届かない
せいとしせいとし
このぎょーれつはたぶん
間違いだ

マッチをもらう

マッチをもらう
健康に気をつけての
ひとこととともに

ありがたい
マッチも
気づかいも

カッコイイ

自分がものすごくつかれているのだとしても
ひとにむかって
おまえもおれと同じくらいつかれてこい
とはぐっとこらえて言わないひと
そういうひとがカッコイイんだと思う

満足よ幸福よ青空よ

人生や生活の目的は
じつはないの
なんていうとむなしくなるから
今は自分の満足とか幸福と
いうことになっているんだろう
だけど
自分の満足や幸福について
考えても
やはりむなしいのだとしたら
なんだか今日はむなしい

給料日

昨日は給料日だった
しかしぼくは
給料を受け取りたくないと
思った
給料が出るのは
ぼくが働いたからである
もしぼくが働いていなかったら
給料は出なかった

ぼくは給料のために
働いているわけでは
別になかった
今月は給料は要りませんと
言おうかと思った

さりとて
ぼくその仕事を
愛しているわけではなかった
仕事を続けていいのだろうか
と思った

ぼくは会社に行って
給料を受け取った
もらえるものはもらっておけと
いう父の言葉を思い出して

しかし本当は
もらえるものを
すべてもらっていてはいけない

必ず勝たなきゃいけないのよ

タイトルはアニメ「トップをねらえ!」のノリコの台詞から借りた。

日曜日に自転車レースを控えており、気持ちを整理したいと思ったのである。モチベーションは大事だ。しかし、スポーツの魅力のひとつは人間の気持ちを簡単に裏切ってくれることにあると思う。

わたしは五流レーサーであり、めちゃくちゃ弱い。とても勝てるとは思わない。もしかしたらリタイヤかもしれない。だが、たまには言ってみたいのである。

必ず勝たなきゃいけないのよ

わたしは思う。こう言って負けていいのだ。この台詞は己の退路を断っている。そこが大事だ。なんというか、決意と結果は別物だということをわたしたちはよく忘れてしまうのではないだろうか。決意が甘いものだとは思わない。決意は簡素だ。

決意と結果が一致する。いいことである。決意と結果が一致しない。そのとき、あなたならどうする。

いやだねぇ。結果を受け入れる。決意のせいにしない。ひょっとすると待っているのは死ではなく恥であり、恥とは己の己に対する不満である。

必ず勝たなきゃいけないのよ

そう言って全力で負けたい。わたしは感情を超えたいのである。

あなたは巨人わたしは小人

わたしはあなたの山の頂で
トランポリンをしたあと
スキップであなたの谷間へ
駆け下りる

わたしは夜
あなたの洞窟のなかをさまよい
泉のほとりで夜を明かす

あなたが寝ているとき
わたしはあなたの足の裏に
そっとちかづき
わたしの鼻先を静かに押しあてる
そしてわたしはあなたの心のドアを
ノックする

たばこを吸うよりキスがしたい

ぼくは二十歳をすぎてから
たばこを吸い始めた
そのときぼくは自分に問うた

女の子とキスがしたい?
それともたばこが吸いたい?

そしてぼくはたばこを選んだ

たばこを吸うことと
女の子とキスをすることとは
関係がないかもしれない

ぼくはここのところ
たばこを控えている
本音をいえば
キスがしたいのだ

七人の女性のなまえ

私はここに七人の女性のファースト・ネームを並べてみる。

※※※
※※※
※※※
※※※
※※※
※※※※
※※※

私はここでこの七人の女性のファースト・ネームを解体する。

/いうえお
///け/
/しすせそ
たち/てと
/にぬ/の
はひ/へほ
//むめも
や/ゆ/よ
//るれろ
わ///をん

私は次のようにひらがなを抽出した。

ああああ
かか


ここ
ささ





みみみ

私はもう一度七人の女性のファースト・ネームを並べてみる。

※※※
※※※
※※※
※※※
※※※※
※※※
※※※

私は無事、抽出されたすべてのひらがなを使った。

 いうえお
   け
 しすせそ
たち てと
 にぬ の
はひ へほ
  むめも
や ゆ よ
  るれろ
わ   をん

いつかひらがなが足りなくなる日も来るだろうか。
あるいは私は運命のようにこれらの抽出されたひらがなによって成るファースト・ネームの女性あるいは男性を愛し続けるのだろうか。