Rain, rain, rain

I’m fine
And
I’m dying
At the same time

コンビニでコーヒーを飲んで
外に出てみると
雨がやんでいた

桜の花がもりもりと
咲きつつある
咲け散れ枯れろ
咲け散れ枯れろ

I’m drinking
Non-alcohol

—明日はレースだがどんな練習をしたのか
—たばこをこの期間やめました

あなたにとってわたしはなに
わたしにとって
あなたはなに
それはわたしが決めることなの

表象
なのかしら
あなたが
桜の花が
わたしが

なにを表象するのかしら
表象するものが表象されるもの
でも
なにをなにをなにを
源はなに
意味が巡る
本当の中心は見えないのよ

あなたの前で
わたしは自由なの
撃ち落としてもいいわ

I’m flying
あなたのことを考えて
あなたのことを考えないで

クルマのなかで
歌を歌った
寝ないために
なんとかして
生き抜くために

新入社員

の顔を見て
思ったこと
会社に未来はないかもしれないが
この人たちには未来がある
たぶんぼくにもある
この人たちを死なせてはならないし
ぼくも死んではならない

避難所

席につく
なにをする気もない

自己実現を夢見ながら
息絶えるのが
かっこいいとは思わない

すべては
Well doneだ
そうじゃないか

The vienna cafe
Tastes good
I want to be a writer
Someday

禁煙席はがらがら
たばこを吸うのは
孤独になるためだ

将来は何になりたい?
将来?
将来きいてくれ

おとぎばなし
本気のおとぎばなしさ

可能性
今日の可能性
永遠の不可能性

水を飲む
水を飲んでも
水になれるわけではない
水になれない
水を飲む

ファミレスJ

今日は月曜
平日のはじまり
つらいこと
つらいこと
楽しいこと
もしあるのなら

ぼくはさっそくいやになる
明日どうすればいいかわからない
今日にさよならしたあと
どうすればいいかわからない

奇跡を待っている
うそだ
なにもしていない
奇跡に来てよ
とも言っていない

つらいと書くたびに
ばかめ
と思う
なにがつらいのだ
なにがつらいのだ
なにがつらいのだ

がんばれ
なにを
なにも
なにもを
がんばれ

Live a life
生を生きる
Die a death
死を死ぬ

つらいの反対はなに?
気持ちいい?

生きていたくない
つまらないから
つまらないのはなぜ

なぜって
つまらなくても
生きられるからじゃない
楽しかったら
死ぬかもしれない

わかってるよ
生きながら死んでると
言うんだろ
生きながら死んでると
言うんだろ

ほっといてくれ
死に順位をつけないでくれ
これもひとつの死の形さ

おまえ
死ぬのなら
言いたいことくらい
言ったらどうなんだい

不安な役者

ファストフード店の窓から
暗闇を眺めている

近隣の中学生は卒業式らしく
レストランはどこもいっぱいだ

通り過ぎる代行のクルマ
Where should I be?

ぼくもまた劣等感というやつを
抱えているのだろうか
たぶんそうだな

I have my own part
I have my own role

ぼくの人生はあなたの人生のかわりで
あなたの人生はぼくの人生のかわり

全てを達成するのは不可能だ
それが行き止まりであり
出口であり
入口なのだ

神様がこたつで煙草を吸ってる
I’m struggling all the time

Living Dead

座っているだけでも涙が出てくる
挫折もなにも
ぼくは挑戦すらしていない

あの世への片道切符を渡されたら
ぼくはどんな顔をするのだろう
「まだやることが」
などと言うのだろうか

なにに挑戦するつもりなのだろうか
なにに挑戦しなくてはいけないのか
挑むのではなく挑まれるという道もあるのではないか

生きているのがつらいときは
おれは徐々に死んでいると思うことにしよう
おれは時間を捨てているのではない
人生は時間ではない
生も死も時間ではない
時間はおれを突き放しているように見えるが
もう一度おれは時間に会うことになるだろう

人生はあなたの全てではない

わたしという銃


ふいに熱くなり火を噴いた

わたしは
きっと自らも撃ってしまったのだ
どっと倒れた

わたしは撃ったことを後悔しない
わたしは自分でも手に負えない人間だ
わたしは撃つことを我慢しない
吹っ飛んではじめてわかるのだ
撃ち、撃たれるということはひどく傷つくことなのだと

日記よさらば

思えば前のブログのとき、頑なに詩だけを投稿していた。今思うと大したものだ。毎日詩を書くのは大変だ。詩というスタイルに落とし込む手間もさることながら、精神的な疲弊も増す。その点日記は書きやすい。そんなわけでこのブログも駄文に満ち溢れている。

頭痛がする。月曜頭痛だ。明日には治るだろうか。事務所との相性がよくないのか人生との相性がよくないのかわからない。どちらも考えすぎだろうか。正直、新しい環境がほしい。

昨日マラルメの詩集を読み終えた。正直、フランス語でも1回目では「なんのことやら」と思う箇所がたくさんあるが、マラルメの凝り性と苦悩は垣間見ることができた。少し時間をおいてもう一度読みたい。

さっきまでシーカーズの「涙のカーニバル」を弾いていた。やはり名曲だ。ストロークのパターンがどうも詰まり気味なので、もう少しジャカジャカさせて力を抜きたい 。練習を続けよう。

夜は依然冷える。雨はやまない。何度紅茶やコーヒーを飲んでいることやら。体をあたためてがんばりたいが、すでにやられ気味であることも確かだ。やられ気味なのはいつものこと。やられ気味なのはいつものこと?

借りていたDVDを返してしまった。特に観るべき映画もない。チャウ・シンチー監督の「新喜劇之王」が観たいのだけれど、中華圏でしか上映していないようだ。早く日本でも公開してほしい。してくれないだろうか。映画を観に香港に行きたい気もする。昨日すっかり寝坊したので、東京への本の買い出しに行けていない。

日記よさらば、とある。ちなみにブログに書いているほかに、レポート用紙に手書きの日記も書いている。ので、ブログの日記を仮にやめてもわたしのなかでの日記が消滅するわけではない。日記のほうが更新の頻度が増えるし、詩よりも読みやすいかなと思って日記を多めに投稿しているが、わたしは日記を書く動機を見失った。しばらく日記はやめる。わたしは日記職人ではないのだ。

わたしはわたしの生活をわかりやすく紹介しようとは思わない。わたしの人生のディティールに、他人にとっての意味があるのかというと、おそらくないと思う。

わたしはまた愚直に詩を書いていきたい。意味がなくてもけっこうだ。「意味がなくてもけっこうだ」と返せる事柄に人は熱中すべきなのだ。

今再び問う

そういえば、昨年の春、わたしは仕事をやめようかと思っていたのだった。

10時から15時まで自転車に乗り、その後19時まで自転車屋にいた。帰ってきたのは19時半だ。小規模の峠越えを5本やり、体はすっかりお疲れモードである。月末にレースに出るかもしれない。出ないかもしれない。出るかもしれない。

牛乳を温めてカフェオレを淹れた。うまい。カフェオレは家で飲むのがいちばんいい。納得の味だ。

昨夜寝る間際に Renaudの Adieu Minetteのコード譜をネットで見つけ、さっそく今日弾いてみた。知っているコードだけで弾けたので、もう少し練習すればなめらかに弾けるだろう。

明日は雨らしい。そして東京マラソンとのことだ。東京に本を買いに行こうかと思っていたのだが、やめたほうがいいかな?マラルメの散文集と広東語のテキストがほしいのだけれど。

仕事を失えば不安な気持ちになるだろう。ならば失ってみるのも手ではないか。なるほど理由もなく仕事をやめることは理にかなってはいない。ならば尋ねるが仕事を続ける理由はなんだ。不安な気持ちにならないためか。

今のわたしにとって職場とはバーチャルリアリティーのようなものなのだ。わたしはバーチャルリアリティーのなかでの処世術ばかり身につけているが、いったん職場を離れればまったくの無力であろう。

わたしは自分が無力であることをかみしめたいのだろうか。わけがわからない。わたしはなんでもやりたいという類の人間ではない。わたしはいやなことが多いので、なるべくなら自分のすることは絞りたいのである。

わたしは仕事自体に興味はない。わたしの興味など、仕事をするうえではいちいち相手にしていなかったが、思えばわたしは興味のないことをやり続けているのだとも言える。

わたしは仕事が大嫌いである。なぜなら仕事をしたくて仕事をしていることはほとんどまれで、大体の場合はその日仕事をすることになっているから仕事をしているだけだ。仕事はわたしの気分を問題としていないのだ。

給料とはそのようにして得るものだというご意見は、現状において的確である。しかしそれは現状を的確に捉えているだけだ。わたしは個人の目線で話がしたい。わたしは1人の労働者であるが、わたしはわたし自身を1人の労働者として扱っているわけではない。わたしはただのわたしである。

最低限の話として、生活費を稼ぐことというのが、大人の人生のスタートライン、なのだろうか。「生活費を稼ぐこと」から考え始めると、わたしはつまらない思いにとらわれる。わたしの気分のなかでは、生活費を稼ぐことはわたしの気分に訴えるものではない。

暴論かもしれないが、お金よりもわたしの気分を優先していきたいのだ。気分がのらないことを無理して続ける必要があるのだろうか。お金のことを考えていてもお金は動かない。お金とは実体のないものだから。

わたしはつまらないことが嫌いだ。つまらないことをするくらいならなにもしたくない。なにもしなかったら死ぬぞと言われたら、おもしろい死に方を考える。