今年が去年になるとき

今日は12月31日だ。ふりかえりでもしてみようと思う。

2018年の年明けは福島を目指す徒歩旅行を続けていた。2月は河原で自転車に乗っていたように思う。徒歩旅行は3月3日に須賀川までたどり着いて一区切りとした。暖かくなったためだ。

2月に会社の先輩からギターをもらい、6, 7年ぶりにギターに触れた。なかなか上達しなくてやめたくらいなので、今度はどうかなと思っていたが、意外と面白く、下手ながら今日まで続いている。

3月おわりに会社では新入社員が入社し、すこし社内の空気がなごやかになった。

4月初めに初レース。結果は散々で、その後練習に本腰を入れた。7月のレースでいつもより成績が上がった。

サイクリング(ツーリング)では、5月から8月にかけ、足尾・日光方面に繰り返し出かけた。いろは坂、金精峠、ともに走りきった。あまりスケジュールにゆとりはなかったが、いい経験だったと思う。

そういえば本ブログは5月に始動した。レンタルサーバーと独自ドメイン取得で、はじめて自分のホームページのためにお金をかけた。好きなことを気兼ねなく書こうという気持ちと、本物の記事・作品を書こうという気持ちで始めた。今でもその気持ちに変わりはない。なお、統計データも確認しているが、基本的にバズってはいない。

9月終わりに風邪をひき、そのまま競技に関してはオフシーズンにひとり移行した。好き勝手にたばこを吸い、好き勝手にウイスキーを呑んだ。このころ仕事がいやになり、やめる計画をしていたが、海外の景色でも見てから考えようと思い、フランス行きの航空券を予約した。

10月はレンタカーでマニュアル車を運転し、フランスでの運転に備えた。国際免許も取得した。サイクリングクラブの月例走行会を最後に、ロードレーサーを乗り納め、会社の後輩に無期限で貸し出した。

11月は中旬からフランス旅行に出かけた。詳しくは別記事を参照願いたい。旅行中は、いわば毎日が戦いのため、死にたいなどと思う隙がなかった。それが自分にはよかったのだと思う。帰りに成田に着いたときのまぶしさと言ったらそれは恵み以外のなにものでもなかった。

12月は年末のお仕事に取り組みつつ、徒歩旅行を再開。2回目の遠征で二本松まで到達。4月に頼んでいたロードレーサーがようやく完成し、晴れて納車。フランスで買った楽譜を前にギターの練習をしていたら一年も終わりにさしかかってしまった。

2017年は、諸事情で夏の最中からあれこれと苦行を始めていた。死んでしまいたかったのだが、自分の自殺には特に意味がないと思っていたから、「死んだ」と言えるくらいに自分の心と体を痛めつけてやろうと思った。2018年になっても苦行は続いたが、長かった自分抹殺計画にもいよいよ一区切りついたと思う。結局、自分で楽しめない苦行には取り組んでもしょうがない。人生は苦行かもしれないが、面白くない苦行なんてうそっぱちである。

わたしは、わたしの言葉を借りるなら、「あたりまえのことが幸せなのかもしれない」という到達点を一度はその目で見たのであった。

人間は永遠には存在しえない。ひとりの人間は、ゆえに永遠の香りをわずかでも感じられれば十分なのではないか。わたしはこの世を愛するが、この世に全てを求めているわけではない。この世というフィクション、そこに至高なるものの残骸を見いだせるかどうか、それが問題なのではないだろうか。

終煙

理由もなく
たばこを吸い始め
理由もなく
たばこを吸わなくなる
のか
期待するか

たばこをやめるとは
たばこを吸う自分に
グッバイと言うこと

映画のなかで
共産主義者たちが
もくもくと煙をはく
これだこれだ
こういうのが好きなんだ
だけど
けど

gagaga
終えるのではなく
終わるということ
ぼくには決められない

いちにちじゅう歩いて

いよいよ
歩けなくなった
二本松の駅から電車に乗った
阿多多羅山を見た
見ながら歩いていた
とてもじゃないけど
智恵子記念館に行く余裕はなかった

足が悪いのに歩き始め
いよいよ足はだめになった
ばかざんす
なぜなぜなぜ歩くの?
ののの
自分抹殺のためかい
頭をすっきりさせるためかい
つまらない野望をあきらめるためかい
ないないNein

歩くたびにひどく
ぶちのめされる
部屋で映画でも見ていたほうが
よほど平和だ

知らない
なぜ出かけるかなんて
ぼくが始めたことだが
ぼくはそこにはいない

歩いて
景色をながめ
体をいためつける
そこに恵みはないか
ぼくはあると思うな

福島の土を踏むまでは

福島の土を踏むまでは
好きですなどともらすまい
福島の土を踏むまでは
きみを食事に誘うまい
福島の土を踏むまでは
好きですなどともらすまい
踏んでも
もらすまい
好きだから
好きじゃないから
好きですなんて
言うくらいなら
だまったまま
かぜをひいてしまいたいから

※筆者は、神奈川県出身、栃木県在住で、自宅のある足利をスタートし、ゴールの福島市まで、週末等を利用して徒歩旅行を進行中の身である

なにひとつなしえない

土、日、月、火とお休みである。自転車が手に入ったのはよかったが、新車ということ(あちこち調整が必要)、また予備タイヤが準備できていないことから遠出は避けたほうが無難だ。歩いて徒歩旅行の続きをするつもりでいたのだが、先週の傷(足のマメ)がいっこうに治らず、とても長距離歩ける状況ではない。こうなるとなるべく家にこもっているのが得策ということになる。あぁあぁあぁ。部屋にずっといるのは苦手である。

昨日ロードレーサーの納車日だったのだが、乗って20分くらいでさっそくパンクした。チューブラータイヤで、まだ予備を持っていなかったので、そのままお店に引き返し、予備の車輪を借りてそのまま帰宅した。今日の午後からすこしばかり、パンクに気を付けながらそろそろと乗り、その後自転車店に向かい修理の済んだ車輪を受け取ろうとした。店主と話をしているうちに、いつのまにやら雨が降ったらしく、路面は濡れていた。「またパンクするよ。雨上がりはよくないね。特にチューブラーは。」店主のアドバイスに従い、クロスバイクを借りて帰った。チューブラータイヤはたいへんだなぁ。

帰宅して映画のつづきを見ようと思ったら、昼前に全て見終わっていたことに気づいた。『バーダー・マインホフ 理想の果てに』である。ドイツ赤軍の誕生から主要メンバーの死去までを描いた歴史映画だ。わたしはウルリケ・マインホフという女性の人生に興味があったのでこの映画を買い求めて見てみた。そもそも彼女のことを知ったのは、映画『白いリボン』の監督のミヒャエル・ハネケ氏が、インタビューでマインホフに言及していたのがきっかけだ。先日、床屋で話をしながら髪を切ってもらっていたときに、わたしは誤って『白いリボン』の監督はウルリケ・マインホフであると口にし、帰宅してからマインホフはテロリストのほうだったことに調べて気づいたのだった。わたしは急にこの女性に興味が湧き、なにか書籍でも取り寄せようかと思った矢先、2008年にドイツ赤軍に関する映画が出ていたことを知り、ぽちっとDVDを注文したのだった。わたしの感想は、不謹慎かもしれないが「ちょうおもしろい」であり、ドイツ赤軍とはなんだったのか、マインホフはどのようにしてテロリストになったのか、彼女は最期になにを考えていたのか、などの疑問・関心が根を張り始めた。

今年もその終わりが近づく。あまりじたばたしないほうがいいのかもしれない。ここへきてわたしの体も心もやられ気味だ。片思いに油を注いで燃えたぎる詩を書きあげる余裕もない。詩も書けないほどにわたしは枯れている。書いてたまるかと思うと同時に書かないでたまるかとも思う。わたしに同志はいないしこれからもいないと思う。わたしはウイスキーの瓶を抱いて眠ろう。

新しい自転車

館林駅にいる。太田行きの列車がなかなか出発しない。

やっとオーダーしていた自転車が仕上がったと今週のはじめに自転車店から連絡があった。今日の午後取りに行こうと思う。今現在、所有していたロードレーサーを会社の後輩に貸しており、たぶん戻ってこないので、自転車貧民になっていた。が、新しいロードを手にすれば水を得た魚となるだろう。スポーツ自転車が自分の根幹に占める割合は決してすくなくない。

  • 2007 Bianchi 1885カーボンバック購入
  • 2010 Bianchを大学の友人にゆずり、BH G4を購入
  • 2011 Anchor クロスバイク購入
  • 2016 GIOS ピストバイク購入
  • 2017 クロスバイクを友人にゆずる
  • 2018 ピストバイクを知人にゆずる、BHロードを後輩に無期限で貸す

今回でロードは3台目、スポーツバイクとしては5台目となる。自分の欲しいバイクがどういうものかはわかっているつもりだ。欲しいバイクと実際に買うべきバイクにずれがある場合もあるけれど(欲しいバイクは実用的でないこともある)。

今回のロードは、レースでの使用とか、サイクリングでの耐久性とか、一応考えたけれど、自分の趣味を最優先した。ぼくは1991年生まれだが、この前後5年くらいの自転車のデザイン、たたずまいがたまらなく好きなのである。端的には、スチールフレーム、ダブルレバー、ノーマルホイール、チューブラータイヤでの構成である。ブレーキブラケットは黒ではなく白が望ましい。

  • フレーム: サンエス JFFロード
  • ブレーキ: シマノ105
  • 変速機前後: シマノ105
  • リム: アンブロシオ モントリオール
  • 変速レバー: ダイアコンペ 11s対応

ぼくが妥協したのは2点だ。ひとつは、ノーマルステム、もうひとつは、フレームのラグである。これはフレームの仕様なので仕方がない。サンエスのフレームのシート角は72度だが、他社フレームでここまで寝ている角度のものを見つけることができなかった。ヨーロッパのフレームはシートが立っている場合が多い。脚の長さの比率、つまり膝上が長いか膝下が長いかの違いだと思うが。ぼくはお尻から踏みおろすようにペダリングすることが多いので、サドル位置はなるべく後退させたい、つまりシート角はすくなめがいい。スチールフレームの場合、74.0度もしくは74.5度が市場においてはメジャーのようだ。このあたりの好みは、しばらく乗って体感できるものだと思う。

完全に自己満足向けの記述になってしまった。もうすぐクリスマス。彼女はいない。彼氏もいない。自転車はある。ハッピークリスマス!

さむいということしか

あなたにとてもとても
お会いしたいけれど
この間会ったばかりだからと
連絡することがためらわれてしまう

ああ!
とてもとてもお会いしたいのに
ぼくはあなたに会うことができない
なぜ
 なぜ
  なぜ
好き
 好き
  好き
ああ!

年ごとに目標など立てない主義だが
今年の初めに同僚からたずねられ
ぼくは「身投げしないこと」と答えた

今年もその終わりが近づく
ぼくは身投げしたくてたまらない
なんだったのだろうこのいちねんは
あすがいったいなんであろう

生きていることが
楽しくないなんて
悲しい
でも生きていることは
楽しくない

すくいがないことが
すくいなの?
すくいって
なんなの
すくいなんてきっと
ないないない

Ha
ぼくは自分自身にすら希望を与えることができない
ぼくは自分自身にすら答えを与えることができない
死んだらわかることがあるのかもしれない
死んでもわからないことがあるのかもしれない

あなたに会いたい
ぼくにはなんの価値もない
さむいということしか
ぼくにはわからない

夜食

コンビニの軒先で
雨をしのぎながら
たばこに火をつけた
うまい一服
おろかもの

帰ってきてから
レンジでソーセージをあたため
ビールを注いだ
なにを祝っているのやら
火曜日ですぜ
風呂も入っていないのに

いよいよきたなくなった
台所に嫌気がさす
生ゴミうけのそうじを

缶ビール一本で
よれよれだ
きみ
知ってるかい
ぼくは缶ビールだ

知らないでくれ
ぼくの気持ちなんて
冷静に
まあるいグラスに
オレンジジュース

今日もへたくそに
ギターを弾いた
きみの前で弾けたらいいな
と思っている
つかのまの空耳のように

冷蔵庫だよ冷蔵庫

部屋の明かりがやや足りず
突っ立ってコーランを読んでいた

コーヒーの湯気で
鼻の穴をしめらせた
皿を洗うたびに手にしみる

マラルメの詩が読みにくいのは
主語が明らかにされないからだと
思った

「荒木はドMだから」

MかSかは状況による
なにしろぼくはひとりしかいない
ひとり芝居だが役はたくさんあるのだ

明かりがほしい
立ち机がほしい
卓袱台がほしい
もし奇跡が起こるなら
あなたのぬくもりがほしい