Resizing My Life

ここのところ静かにウツだった。ウツが悪いとは思わない。そういうときもあるよねと、そういう感じだ。元気でも元気じゃなくてもいい。嫌なのは特定の状態を強要されることだ。

最近よかったことはSNSの大半をやめたことだ。ストレスがいくぶんか減った。仕事で使うならまだしも、個人のレベルでは好みの問題だ。ぼくは特別チェックしたい事柄はなかったし、ノイズのような情報ばかり目に入って消耗していたからこのタイミングでやめたのはよかった。

ついでにパソコンでWindowsをやめた。今はLinuxを使っている。Ubuntu Desktopをインストールしたが、かなりいい感じだ。家庭でも十分便利に使える。Windows以外の選択肢筆頭はiOSだろうが、Linuxも場合によってはおすすめだ。

先週の金曜日に折りたたみ自転車を注文してかなりお金を使ってしまい、今日預金の残高を見たらびっくりするくらいお金がなくなっていた。浪費は禁物だ。とはいえ自転車を手放す気はないけど。

生活を見直すいい機会なのかもしれない。とりあえずスマホに家計簿アプリを入れてみた。出ていく金額を可視化するのは悪くない。

倹約自体を楽しめないかぎりは、倹約に興味がないので、今から極端に倹約をするつもりはないけれど、ない袖は基本振れないので、てきとうなところに落ち着くだろう。どうしてもお金がなくなったら、支払いを延ばすかクルマを売るかしよう。

相変わらず毎日ギターを弾いている。少しは上達しているのかもしれない。ギター練はちょっとした毎日の救いだ。音楽療法みたいなものだ。

外はシトシト雨だ。たまには inactiveでいいよという空からのメッセージかもしれない。

今日もまた

日記を書いてみる。たぶん明日は書かない。

朝は5時起き。雨が降っていたが、軒先で自転車を整備する。レトルトカレーで朝飯。

8時前に家を出ると8時には会社に着いた。いつもなら上の階でギターを弾いているが、楽譜を書き写したかったので自席でネット画面を見る。8時半よりお仕事。夕方帰るころになってよくわからないところが出てきて、あれこれ調べていたがどうにもならず、いらいらしながら帰った。

要するに仮想マシンに対してホストマシンからポート変換をして接続したいのだが、うまくいかないという件で、自宅にも趣味でWEB用開発環境をセットしてあるから、帰ってきてからも結局11時近くまで黒画面と向き合っていたが、やはりわからず、とりあえずあきらめて自転車のタイヤを換えた。非常にもやもやするが、仮想環境の構築の仕組みそのもののバグか、自分のケアレスミスだろうから、気長に構えるしかない気がする。こういうのは焦ってもわからんのだ。今日だけでも大分つかれてしまい、また明日出社しなければならないなんて考えたくもない。

寒いのでウイスキーのお湯割りを飲んでいる。明日の朝はゴージャスな朝ごはんを食べてネカフェのカラオケルームでギター弾いてから会社に行こうと思う。

ばかやろ。

ただの日記ですが

起きたら11時だった。目覚ましが5時ごろなった時点で雨音が聞こえたので、自転車に乗ろうという気も失せてしまったのかもしれない。先日までと打って変わって涼しい1日となり、午前中はすやすやと寝ていたというわけだ。

食べるものがないので近くの大型ドラッグストアに行った。スパゲティなどを買い込む。帰ってきてスパゲティを食べる。食後にギターを弾く。髪を切りたいと思っていたので、ちょうど雨もやんでいるし自転車で家を出た。

床屋で少し待つ。なんだかんだ時間がかかり、帰宅したのは17時30分。また雨が降ってきた。自転車屋に電話をかけるものの、応答がない。タイヤを買おうと思っていたのだが。直接行ってしまったほうが早いと思い、クルマを出した。

自転車屋は開いており、店主が修理をしているところだった。雑誌などを見て待つ。作業が終わったところで店主(Sさん)のロングトークが始まり、店を出たのは20時30分とか。

2度目の帰宅後、牛丼屋でささっと夕飯を食べ、ドイツ語の聖書とソローの『日記』を少しずつ読む。ここのところ読書の大半はこの聖書に充てているが、なにせドイツ語の能力が低すぎて内容を理解できない。少しずつわかるようになるものと信じて読み進めているが、さてどうなるかはわからない。

その後、ひとりブルベ第1弾の「足利~郡山~足利」の計画でロードマップを確認していた。天気さえよければ次の週末に決行するつもりだ。

この後(生きてても)なんもいいことないじゃんと思うとひどくつまらなく思える。なんもいいことないかはもちろんわからないわけだけど、なんもいいことないんじゃないかとつい思ってしまう。かといってぼく自身はぼく自身を大きく変えるつもりはない。

巷にあふれる諸々の、人生のモデルケースなるものを参考にするとひどく味気ない気持ちになる。マイホームがどうの、結婚がどうの、貯蓄がどうの、キャリアがどうの、老後がどうの、etc, etc…。ひとつひとつの問題は大事かもしれないが、おれにあてはめないでくれよという気がする。勝手に自分にあてはめて疲れているのは自分かもしれないのだけれど、くだらない情報(というかアドバイス)を垂れ流さないでほしい。

とってつけたようなシアワセ感を演出するくらいなら、「なんもいいことないじゃん」と素直に思っていたほうが個人的にはしっくりくるので「なんもいいことないじゃん」と思っている。人生をあきらめているわけではない。挑戦もしている。

生きることはハッピーであったほうがいいと思っているが、生きることがハッピーであるという前提に立つととても苦しい。生きることは本来ハッピーではないのだ。だからこそハッピーであってほしいと思うのではないだろうか。

ルーズリーフの裏面

誰もおまえのことを気にかけないのは
寂しいことだと思うか
おまえは寂しいと感じるだろう
今はどうか知らないが
誰もおまえのことを気にかけない時が
いずれ訪れる
そのときおまえはもう何も感じることができない
寂しいと思いたいのに寂しいと思えない
おまえは今
ほんとうにひとりなのか
おまえは今
ほんとうに孤立しているのか
ばか言え
そんなことはありえない