風邪にふかれて

今日は赤城山ヒルクライムの日だった。だから本当なら雨でも走りたかった。が、ぼくは一日中部屋で寝ていた。風邪にふかれた。昨日も、同じような日を過ごした。

外は台風だ。気圧の不安定は体調へもリンクしているのかもしれない。季節の変わり目。夏用のカラダは捨てなくてはいけないのかもしれない。この風邪でぼくのカラダも切り替わるのかもしれない。

先日ロンドン・エジンバラ・ロンドンについて知った。5日間で1400キロ走るサイクリングイベントである。4年ごとの開催で次回は2021年。同ジャンルのイベントであるパリ・ブレスト・パリは知っていて、興味はあったものの、出場資格が厳しく、あきらめかけていた。が、ロンドン〜のほうは特に資格を求めないようだ。

足利から青森まで約700キロである。往復すればロンドン〜に匹敵するだろう。2021年まであと3年。準備は可能と考える。2023年にはパリ〜もある。

来年はブルベボーイになろう。今夜はクスリをのみ、入浴してから寝る。

オトナのマニュアル教習2

そのようなタイトルのえっちな動画があれば見てみたいものだが、わたしはいとも普通な、やや不安な面持ちでマニュアル車を運転しているだけである。

今は今日の目的地である結城のファミレスJにいる。行程の半分は無事終了した。エンストもゼロだ。ランチを食べたら南下し、野田へ戻る。

昨日23日日曜日は、会社の友達に誘われ、中山競馬に行った。競馬は行ったことがなく、馬の名前だけ見て単勝を100円ずつ買っていた。結果1000円くらいプラスだったのだが、夕方レンタカーの予約日付を間違えていたことで6000円程のキャンセル料が発生し、マイナス5000円の損失気分となった。

一夜明け、気を取り直して野田へ向かい、貸し出し時間より早く店舗に入った。簡単に説明を受け、先週も借りたそのクルマを発進させる。マニュアル車に乗っているとよくわかるのが、クルマの運転で技術的あるいはエネルギー的に大変なのは発進である。速度ゼロからイチがハードルなのだ。しつこいくらいに半クラッチをきかせて発進の感覚を思い出していく。

自家用車もマニュアル車だったら世話もないが、今やマニュアル乗車率は日本において1パーセントを切っているらしい。わたしもマニュアルに乗るとは思っていなかったし、免許取得時は乗りたいとも思わなかった。

やっとマニュアル操作に(気持ち)慣れてきて、運転が楽しいと思える瞬間も増えた。

※夕方の追記。梅郷界隈に戻ってきてから、2回も路上でエンストさせ、冷や汗をかいた。丁寧な運転を維持するのは意外と難しい。(安全運転で行こう。)

妄想旅行準備1

小山のファミリーレストランDにいる。会社から戻るなり、暗いなかクルマを洗い、クルマを出し、佐野でハイオク満タンにして小山まで来た。このあとは新4号バイパスで古河まで下り、足利に帰る予定だ。

頭の4割をフランスでマニュアル車を運転することが占めている。フランスでレンタカーを借りようと思っているのだが、フランスはマニュアルが大多数らしいのだ。マニュアル車なんて免許を取ってから運転したことがなかった。

この前の祝日に野田のレンタカー店でマニュアル車を借りて運転してみた。交通事故こそ起こさなかったが、初心者がやりそうなミスは全て犯した。エンストしたらどうする?かけ直してリトライするだけだ。坂道で下がったら止めるだけだ。クルマを返すころにやっと半クラッチとはなんだったのかわかり始めた。

来週も借りよう。野田から結城のファミレスまで行こう。

今日は次走るコースをなじみの自家用車で確認している。

ぼくが言いたいのは
きみが依然かがやいている
ということ

ぼくが言いたいのは
ぼくはきみにたどり着けない
ということ

ぼくが言いたいのは
かりにたどり着いたとしても
ぼくはきみの眩しさを
受けとめることができない
ということ

デイアフターレース

午後から仕事に行かなくては。午前中は休みをとっている。午後も休みたいような気がしたが、家ですることは寝ることくらいなので、昨日の疲れと訣別するために家を出ることにする。

さて、昨日は伊豆修善寺の日本サイクルスポーツセンターでレースがあった。2時間耐久クラスでエントリーしていた。社会人になってから、JCRCのレースに出るときはほとんどこの耐久、すなわちエンデューロ区分で参加している。

7時45分にスタートの予定だったが、天気は雨かつ雷で、スタート時刻が遅れるとのアナウンスが幾度かあった。結局9時のスタートとなり、時間も1時間半に短縮された。スタート時は雨がおさまっていた。路面はもちろんびしょ濡れのため、前のライダーからのしぶきを浴びながらのスタートとなった。言い忘れていたが5キロコース順周りで、10時半までのゴールライン通過は次周回可能である。

最初の上りでいつも集団から切れていたのだが、この日は後半の上りまでメイン集団にくっついていき、その後第2グループに位置を落とし、2周目に入るころひとりになった。スタート前までひざに手ぬぐいをかけてちぢこまっていたせいか、酸欠かつ頭痛気味で苦しかった。が、その後アップが完了したのか、なんとなく脚が回り始め、自分的にそれなりのペースで走れるようになった。いつもは後ろ25でフラフラしているところが、25で回っていたり21に入れられたりするのだから、春先に比べると力もついたのかもしれない。

メーターはここ何年もつけておらず、時計もしていないために、監視塔通過時に余裕があれば時計を見るようにしていたが、2周にいっぺん見るか見ないかくらいなので、何周目なのかとか、今何時なのかとかがわからなくなる。

10時22分ごろ最終周に入った。飛ばせばもう1周できるかもしれないと思ったが、ゴールラインまで来るとスタッフが赤旗を振っていた。終わりだなぁとなんとなく思ったのだが、前のライダー2人が勢いよくラインを通過していったのにぼんやりついていってしまい、リザルトには関係ないがもう1周してしまった。以下わたしの結果。正式にはJCRC公式サイトを参照されたい。

  • 順位:13位(完走者全18名中)
  • 周回:8周
  • タイム:1時間34分
  • トップとの周回差:2周
  • 平均時速:25.2キロ

体も自転車もびしょ濡れだ。トイレに避難して着替える。疲れでうまくバランスを取れず、体を個室の壁にぶつける。着替え終わると自分の出たクラスの表彰式をやっていた。自転車を押して駐車場へ向かう。簡単に自転車をそうじし、クルマに自転車を収納する。11時半ごろにはクルマを出した。

高速に乗る前にファミレスで昼食を摂り、13時ごろ再出発。自宅に着いたのは17時過ぎだった。洗い物を片付ける。

本日。7時起床。自転車を濡れ雑巾で洗い、油をさす。その後、パスポート申請に出かけた。天気は雨が降ったり止んだり。台風のせいだ。

今月末には赤城山ヒルクライムに出る予定だ。ちょうど受付の案内が届いた。

自転車レースについては、やはり走りや結果がものをいうと思うので、いつもレース後は沈黙せざるを得ない。

ロードレース・イブ

明日は伊豆修善寺にある日本サイクルスポーツセンターでレースがある。というわけで今は三島のはずれのホテルにいる。寝巻き用の短パンを忘れてきたことに気づいた。

レース前に記事を投稿したりツイートすることはあっても、レース後に投稿をすることは少ない。なぜならレース結果がへなへなだったからだ。勝負の世界は常にシビアだ。明日はどうなるだろう。イメージトレーニングはやめておこう。

そういえば先週箱根に来たから、同じ方面に2週連続で来ていることになる。われながらどうかしている。移動の多い生活。

今日はもう夕飯を食べて明日の買い出しをして寝るだろう。ステファンヌ・マラルメの詩集は家に置いてきてしまっている。ばたばたしているとはいえ、静かな夜。

午前中は自転車を整備したあと、10時に写真屋さんに行き、パスポート用写真を撮った。月曜日にパスポート申請に行く予定だ。秋は海外。秋は海外だ。わたしは社会人だろうが(とらわれの社畜の身分だろうが)すずしい顔をして海外に行けることをわたし自身に証明したい。

自宅に戻ってから埃っぽい部屋に掃除機をかけ、荷物をまとめ、午後2時半に三島に向けて出発したのだった。

わたしは優秀なレーサーではない。わたしの成績は優秀ではない。なのになぜきみはいくのか。わからない。また来てしまった。前回のレースと今回のレースとの間に絶対的な連関などないはずだ。だけどまた来てしまった。わたしはまた負けるのだろうか。負けるという明確な結果さえ得られるのだろうか。

わたしは一軒の家も建てることのないまま、しかし日々レンガを積み続けるような建築家でありたいのだ。