11月24日~25日(土、日)、パリ~成田

朝は6時に起床。荷物をまとめてYHをあとにする。メトロの駅へ。インフォメーションに係員がいた。ラッキーだ。シャルル・ド・ゴール空港までの切符を買う。レピュブリック駅、そして北駅で乗り換え、B線に乗る。これで間違いなく空港に行ける。外はまだ暗く、景色という景色は見えない。

空港駅に着くが、さらに空港内シャトル列車でターミナル1へ。搭乗手続きを済ませる。手荷物検査のあと、お土産を買った。その後ぼくはワルシャワへ向けて発った。

ワルシャワで飛行機を乗り継ぎ、成田行きの大型機に乗る。席は真ん中の列の真ん中で狭い。とにかく暇で寝ようとするもなかなか寝られない。前日(24日)の朝からほとんど飲まず食わずだったので機内トイレには1度行っただけだ。

喉が乾く。日本時間の7時を過ぎて朝食が出た。がつがつ食べる。食べ終わるとまもなく成田に着いた。長いフライトだった。睡眠が十分ではないが、こちらは快晴でぽかぽかしており、頭を切り替えてそのまま起きることにする。

パスポートチェック、税関を抜けて自由の身となった。京成線スカイアクセスに乗って東松戸まで行き、武蔵野線に乗り換え、南越谷で東武伊勢崎線に乗り、足利の自宅に帰った。帰宅は15時くらい。

洗濯物を洗濯機に放り込んでから、荷物を整理する。そしてぼくはオーダー中の自転車が進んでいるか気になり、自転車店へクルマで向かった。

11月23日(金)、パリ散策2

8時くらいに起きた。ダルタニャンで3度目となる朝食を食べる。やはり朝は紅茶。フルーツコーナーにオレンジがなかったので、ラフランスを取って切って食べた。

昨夜はベッド3つが埋まっていたはずだが、起きたら誰もいなかった。小さなスーツケースだけが窓際に置いてあった。連泊ですでに出かけたのだろう。歯を磨いてひげをそる。手ぬぐいはそのまま乾かしておこう。

特別予定はないのだが、まだ行っていないところがあるし、フレンチポップの楽譜が欲しかったので、グーグルマップで検索して出かけた。

セーヌ左岸のポンヌフからほど近いPUGNOという音楽書店に入る。思ったより小さなお店。マダムにフレンチポップの楽譜はありますかときいたら、置いていないと言われた。それならブーシャー ( Beuscher )ねと言われ、その場でマップを検索する。お礼を言って店を出た。

ブーシャーはバスティーユ広場の近くで、歩いて3キロくらいあった。かなり大きな楽器店だ。ギターを見たいのをこらえて書籍コーナーへ。あるある。欲しかった楽譜がある。ルノーの楽譜とムスタキのタブ譜を手に取り、会計へ。45ユーロなり。パリに来てよかったと思った。ネットで買えばいいじゃないかと言われそうだが、以前フランスのサイトから注文してキャンセルをくらっていたのだ。やはり現地は強い。自分への最高のお土産である。

さて、暇になった。せっかくだからモンマルトルの丘でサクレ・クール寺院を見ようと思い、北上する。

お腹がすいて13時半ごろトラットリアと看板の出ているイタリア料理店に入った。オランジーナとミネストローネとジェノベーゼのパスタを頼む。日本でも食べているような組み合わせ。ミネストローネがトマトベースではなく、スープが澄んでいるのが意外だったが、これはこれで野菜の味が楽しめてよろしい。パスタは太麺でかみごたえあり。体力がつきそうである。エスプレッソを飲んで会計を済ます。30ユーロくらい。グッドだ。日曜日にヴィクトル・ユゴー広場で食べたランチが50ユーロもしたのはなかなかショックだった。場所の問題だろうか。

モンマルトルの丘へ上っていく。坂道が好きだ。パリ在住だったらここで朝練をしたい。サクレ・クール寺院の前は市街地の眺めがグッドだが、人が多すぎてゆっくりできない。早々に退散。裏手でアコーディオンを弾いているおじさんがいた。ぼくもパリで一文無しになったらここらへんでギターを弾こうと思った。

商店を見ながら散策。画家が多い。広場はキャンバスだらけだった。ぼくはあまり絵の趣味がなく、話しかけられるのも面倒なので、さっと見て丘を下りた。

カルチェラタンへ行こうと思い、ちょっと距離があったのでメトロに乗った。券売機でうまく買えず、インフォメーションに並んで買った。券売機だとNavigoカードを求められることが多いが、そんなカードは持っていないのである。

カルチェラタンに着いた。ソルボンヌ大学の入り口を眺め、その後リュクサンブール庭園に入った。写真を撮っている人もちらほらいるが、フランス式庭園はなんとなく味気ない。広々としていて散歩するにはいいけれど、緑が少ない気がしてしまう。

その後、カタコンベまで南下して、YHへ方向転換。すでに薄暗い。イタリア広場が広すぎてすこし迷う。しばらく歩いてセーヌ川を渡河、ピクピュス通りからピレネー通り方面へ。お腹もすいたし、19時近かったので、どこかお店に入りたいと思っていたけれど、結局入れずにYHのすぐ近くまで来てしまった。そういえば近くにバー兼レストランがあったことを思い出し、寄ってみると営業中だった。クスクスがメインらしい。いいぞいいぞ、クスクス食べたいぞ。

店に入り、ビールと牛肉のクスクスを注文する。しばらくするとクスクス、スープ、牛肉のプレートが来た。てきとうに混ぜながら食べる。おいしい。疲労のせいか途中から胃が重くなってきたが、お肉とスープは全て頂いた。テラス席に移り、紅茶をのみながらジタンを吸う。バーではテラス席のみが喫煙可である。テラス席とはいっても、屋根も壁も暖房もあるので、寒さは心配ない。いい店である。路地を入ったところにある小さなお店なので、なかなか観光客は来なさそう。ダルタニャンYHへ泊まることがあれば、このバーをおすすめしたい。

YHに帰って、昼間購買した楽譜を眺めていたら、いつのまにか寝てしまった。

11月22日(木)、パリ帰還

何時に起きたのか覚えていないが、朝日が上がる頃、手ぶらでルアーブルの街を散歩していた。朝のわちゃわちゃ感を感じつつ、しかしルアーブルはつるりと洗練された感じで、あまり荒れたところがない。どこかで朝食でも食べようかと思ったが、結局どこにも入れず、9時過ぎにホテルに戻った。

フロントで朝食をお願いすると、10分待ってほしいと言われ、9時45分に朝食を食べる部屋に入った。胃が弱っているので、コーヒーではなく紅茶にした。お年を召したマダムがパンを持ってきてくれ、茶箱を開けてティーバッグをお選びくださいと言った。トワイニングのバニラフレーバーを取る。ぼくの知る限りフランスでは、あるいはドイツでも、基本ティーバッグで、茶葉は出てこない。通りを眺めながらぼんやりクロワッサンをほおばる。

その後10時45分まで部屋で片付けをしたりトイレを済ませるなどして、11時前にホテルを出た。ムッシュのもてなしが温かいホテルだった。ルアーブルに泊まる予定があるならホテル・ル・グリーンをおすすめする。

市役所まで歩いていき、地下駐車場の料金を払う。14時間くらい泊めて7ユーロくらいだからなかなか安いと思う。日本のパーキングと変わらないノリで停められるのもよろしい。

出口を出た後、一方通行の道を反対方向に出ようとしてしまい、ひやひやしたが、なんとか軌道修正をしてナビを頼りに市街地を離れていく。天気は雨及び霧。気温は3度くらい。

高速の入り口が激混みしており、なにかと思えば工事のようだ。蛍光ベストを着た係員に導かれ、ゲートをくぐる。

あまり飛ばさぬよう進む。本日は250キロくらいの走行。途中ガソリンを入れるタイミングでお店で休憩。バナナとマドレーヌ、オレンジジュースを買う。

パリが近づくからか、クルマの量が増えていく。追い越しもほどほどにと思ったが、トラックが多いので一番右の車線は避けた。

いよいよクルマが詰まり気味となり、スピードも大して出なくなったところで、パリ環状道路にインする。基本混んでおり、割り込みもめずらしくない。このあたりは首都高と一緒。バイクも多いので要注意だ。車線をはみ出さないようにし、前に入るクルマがあればとにかく譲った。最後の最後で事故はごめんだ。

ポルト・ドゥ・バニョレで パリ環にさよならし、交差点で左折待ち。なにやら老婆が用があるらしくガラスをノックしてきた。少し窓を開け、話を聞くと、なにか食べ物をくださいと言う。はあ、と思ったがちょうどバナナがあったので渡してボンジュルネと言った。

その後ほどなくしてAvisのオフィスに着いたが、ガソリンが満タンではなく、スタンドの場所をきく。本当はもうあまり運転したくないのだが、ガソリンくらい入れねばとスマホのナビにガソリンスタンドをセットしてしばらく走る。

ナビ通りに走っているつもりなのに、さっぱり着かず、肝を冷やす。なんとかTOTALのスタンドに入るものの、支払いの方法がわからず、店舗に入って尋ねる。後払いだった。SP95を11リットル入れて満タンにし、Avisのオフィスに戻った。

完璧ね、とスタッフの女性に祝福を受け、キーを返す。キズの確認など念入りにやるのかなと思っていたが、なにもなかった。

16時くらいだったがお腹が空いていたので、近くのケバブ屋に入り、ケバブ定食をがつがつ食べる。20セントまけてくれた。パリでまけてくれるとは意外だ。選べばいいお店があるものである。

月曜朝までいたダルタニャンYHに戻り、死んだように眠った。

11月21日(水)、ブレスト~ルアーブル

今日もまたその全てを語るには長すぎる1日だった。今はルアーブルのホテル・ル・グリーンにいる。こじんまりしたホテルだが、居心地はよく、通り沿いで眺めもよい。さっきまで洗面所でここぞとばかりに洗濯をしていた。

さて、朝は8時前に起き、イマーさん、ジャン・リュックさんらと朝食を食べた。基本フランスパンとコーヒー。胃が弱いので途中から紅茶を飲んだ。ジャン・リュックさんはミルクコーヒーにパンを浸して食べていた。

イマーさんが街を案内してくれると言うので、せっかくだから一緒に行くことにした。ジャン・リュックさんは電車でパリに行くので、11時半には駅に行く必要があると言う。3人で10時過ぎにホステルを出て、ひとまずクルマで駅前に向かった。

駅前のバー兼カフェ兼たばこ屋でコーヒーを飲みながら3人で話す。ジャン・リュックさんがさっき撮ったばかりの写真をメールで送信してくれた(なぜか届かないままだ、日本に帰ってもだめだったらもう一度きいてみよう)。
ジャン・リュックさんの出発の時間となり、イマーさんとお見送りした。

クルマを無料のパーキングエリアに移し、イマーさんに街を案内してもらう。イマーさんがcapucinと言うその中世の建築物は、中を改装中で、大きな図書館が入っていた。図書館は完成して間もないようだ。(写真はcapucinへ向かうロープウェイにて撮影)

イマーさんが図書館のパソコンであれこれやっており、何をしているのかなと思ったら、求人サイトに登録してプロフィールを更新していた。ブレストで職を探しているようだ。イマーさんはデザイナーと聞いていたから、求人サイトを見ているのはちょっと意外だった。

この時点で14時を回っていた。ぼくは少なくとも450キロ運転する必要がある。ランチを食べたい気持ちをこらえ、イマーさんに別れを告げて出発した。

街を抜けてフリーウェイを快走する。16時ごろガソリンスタンドで休憩。クロワッサンとチョコパンを食べる。再出発。17時過ぎにはほとんど日が暮れた。暗闇のなかを110キロとか130キロで走った。街灯はほとんどないから、白線の反射とカンだけが頼りだ。

あまりの疲れに18時半ごろトイレのみのパーキングでコーラを飲んでたばこを吸った。気を取り直してハンドルを握るが、いよいよ真っ暗でカーブや追い越しはよく前を見ていないと危ない。高速道路が工事中の区間もあり、そういうところは道幅が狭くなっていて、トラックが走っていたりするとおっかないものがあった。

セーヌ川を渡っていよいよル・アーブルだと思ったところで派手に道を間違え、20キロはロスした。疲れている。

なんとか同じ道を戻り、ル・アーブルの市街地へ。目的のホテルにはパーキングがないから、パーキングを探す必要があった。市役所の周りをさまよい、結局市役所地下の有料パーキングに停めた。

21時を過ぎてホテルにたどり着き、部屋に上がってから、夕飯を食べに近くへ出かけた。

11月20日(火)、ルマン~ブレスト

今はブレストのユースホステルにいる。洗面所の前に突っ立ってこの記事を書いている。

朝は起きたら8時だった。そうだ、昨夜のことを書こう。

7時半ごろぼくはホステル近くのバーに行った。ウイスキーを飲んでいたら隣のムッシュから英語混じりで話しかけられ、会話が盛り上がった。ルマンのこと、自転車のこと、旅行のこと、そしてとりわけ音楽とギターのことについて。

けっこう酔ったまま、そのムッシュ、セルジオさんが自宅まで招待してくれた。フェンダーのエレキを見せてくれるという。フランス人の家を見るのは初めてだった。マンションのようなところで、ひとり暮らしとみえる。年代もののストラトキャスターを出してくれ、即興であれこれ弾いてくれた。明日はルマンを発つと言うと、今晩ルマンのベストプレイスを紹介してくれるという。たぶんこの時点で22時半くらいだったのではないか。

ザ・ズーというバーだった。ソフィーというマダムが切り盛りしている。ここでセルジオさんの友人、ティエリーさんとジャンさんを紹介される。セルジオさんは1軒目で飛ばしていたせいか、ここではスローペース。逆にぼくは威勢よく飲んだ。ティエリーさんがぼくにぐいと顔を近づけ、

—ひとつめのアドバイスだ。カントの『純粋理性批判』を読みなさい。何語でもかまわない。
—ふたつめのアドバイス。コーランを読みなさい。

と言った。ティエリーさんもだいぶ酔っていたが、白髪のロン毛でなかなかかっこいいおじさんではある。本筋とは関係ないがこのバーにいる若い女性たちがびっくりするくらいの美人ばかりで、時折チラ見していた。

1時近かった。店を出る。会計はセルジオさんが済ましてくれた。セルジオさんとなぜか並んで歩いていた。ぼくは革ジャンのポケットに手を突っ込んだ。セルジオさんはたいへん親切ではあったが、いよいよ酔ってぼくにからんできた。ウチに泊まっていけと言う。ぼくはこれはまずいやつだと思い、フランス語で放っておいてくださいと言った。ホステルのある通りの入り口まで行き、セルジオさんと別れた。少し悪い気もしたが、ぼくはぼくであり続ける必要があった。

ホステルの入り口の自動ドアが開かない。死んだ、と思っていたら、誰か泊まっている人が戻ってきて、入り口が開いた。今思うと部屋の電子鍵でフロントも開くシステムだったようだ。1時15分くらい。ぼくは死んだように寝た。

起きたら8時だった。朝飯だと思い、食堂へ急いだ。軽めに食べ、紅茶を飲んだ。昨夜体を洗っていなかったので、シャワー室でシャワーを浴びた。ここのシャワー室はベリーグッドだ。清潔で広い。

チェックアウトの10時に合わせて出発する。クルマは無事パーキングに鎮座していた。ナビをセットして出る。街を出るのに若干てこずったが、なんとか市街地にサヨナラし、高速に乗った。

二日酔いで胃がやられていて、疲労感がひどい。最初のパーキングでガソリンを入れる。Sans plombというのがハイオクだ。おおむね日本のセルフスタンドと一緒。昼食もパーキングで食べた。クスクスと野菜スープで、胃に優しいランチ。

時折雨が降る。晴れ間がのぞくこともあり、日本で言えば新潟的な天候だ。高速道路はレンヌまでで、その後は一般道のフリーウェイで110キロで走る。

市街地の運転は不慣れだが、16時30分ごろなんとかユースホステル付近まで来た。路肩に停車して駐車場を検索する。結局オセアノポリス水族館のパーキングに停めた。ガラガラで無料。夏は賑わうのかな。

港を散歩して時間を潰してからユースホステルへ。広々としている。スタッフの男性は英語オーケーでたいへんに親切だった。今日は相部屋らしい。部屋に入るとジャン・リュックさんがいた。若くはない。おじさんと言っていいだろう。ベッドメーキングを手伝ってくれ、電源タップを貸してくれた。

その後イマーさんが現れ、英語で色々と話してくれた。ラザニアを取り出し、下で温めて食べない?と誘ってくれた。食べ物のあてがないぼくにはまたとない朗報だ。

キッチンでラザニアを湯せんにかける。イマーさんがワインを注いでくれた。キッチンにはその後、ティモテ、ヴィクトール、アラン、ジュリーなどのメンバーが登場し、会話が盛り上がった。ぼくのフランス語が実用にたえないことを痛感した。

その後、イマーさんと近所のバーに行って1杯だけ飲んで戻ってきた。イマーさんは以前はパリ在住だが、田舎町を好んでブレストに移ってきたみたいだ。ぼくも田舎町はいいと思う。田舎町が好きでなければそもそもブレストにも来なかっただろう。

記事を書いている途中に部屋からwi-fiのあるロビー前に移った。今は0時22分。眠い。今日もまた書き記すにはあまりに長い日だった。イマーさんが海外で働いてみたらどうだい?と言った。海外で職を見つけるのはたいへんだと答えたら、時にはねと返ってきた。思うに、日本の教育は基本的に日本で働く人生を前提にしている。だから日本で働くということしか選択肢に並ばないのである。

11月19日(月)、パリ~ルマン

今は18時40分で、ルマンのYHにいる。パリの薄汚いと形容したくなるそれとは打って変わって清潔かつ心温まる宿である。

昨夜はよく眠れず、しかもお腹を壊していて、お世辞にも調子がいいとは言えなかった。6時20分起床。気持ちを落ち着けるために本を読み、部屋を片付ける。

7時から朝食を食べる。今のところパリのYHでポイントが高いのは朝食くらいである。シリアル少々にヨーグルト、パン2切れ、ハムとチーズ、オレンジ1個、紅茶2杯。

朝食語まもなく出発する。まずはオペラ座近くのヴィヴィエンヌ通りの両替店へ向かう。お店は9時からだから8時から歩いた。YHから5.7キロ。パリの朝は通勤時間と見え、クルマ、バイク、自転車がひっきりなしに往来する。昨日は川沿いを歩いていたので、そこまで街歩きをしている感はなかったが、今日はこれがパリの目抜き通りとみえ、賑わいを感じた。

当の両替店には9時10分くらいに着いた。ガラス張りのカウンターのみの店舗。「日本円をユーロに両替したい」と伝え、3万円出した。換金率が悪くても200ユーロ返ってくればいいかなと思っていた。229,29ユーロ返ってきた。換金率は悪くないと思う。ただ6年前には300ユーロ近く返ってきたことを思うと、円安だなぁと思うだけだ。あとわたし的には通貨の両替は現地がお得と思っていたが、ネットで調べるとパリの両替はレートが悪いらしい。基本支払いクレカなのだが、現金は非常用に確保しておきたかった。

ブルス駅からメトロに乗ろうと思っていたが、道を間違え、パレ・ロワイヤル・ミュゼ・ドゥ・ルーブルからメトロの1番線に乗った。チケットの買い方がわからず、通りすがりのマダムに助けを求めた。英語混じりで丁寧に教えてくれた。助かる。

クルマの予約をしていた10時少し前にナシオン駅に着いた。エイビスのオフィスへ。クルマは先にネットで予約済みだ。手続きにやや手間取ったが、予約していたプジョー308が通りに手配された。カーナビを英語にしてもらい、あとはご自由にとなった。ルマンのYHの住所を登録し、クルマを出す。スマホでも念のためナビをかける。

何度か道を間違えつつ、パリ環状道路へイン。ナビに従って走る。環状道路をサヨナラし、高速に入ると道は割とガラガラになり、あまり日本と変わらない感じで快速した。高速域でもクルマの振動は少なく、快適である。

パーキングに寄ってみる。パン屋が入っており、サンドイッチとコーラを頼み、ランチとする。ヨーロッパの旅行といえばわたしにとって、ガソリンスタンドかサービスエリアである。日本でのコンビニ的な存在。

ルマンまではしめて200キロ強だが、13時30分過ぎには高速を降りた。市街地へ向かう。右から出てきたクルマに道を譲ったら、後ろのトラックにクラクションを鳴らされた。

YHまで来たはいいが、パーキングがなく、フロントで聞いてみたら、道端のパーキングスペースを見つけて停めるしかないと言われる。ぐるぐると界隈をさまよい、いよいよ停めるところがない。歩いていたご夫婦に相談すると、反対側の路地に入ったところに広場があり駐車場があるとのこと。しかもタダ。藁をもつかむような気持ちで迷いつつ広場へ。けっこう埋まっていたが、空いているワクにクルマをイン。駐車を完了した。

再びYHの門をくぐり、受付に行くと、スタッフの女性が部屋に入るには早すぎると言った。15時20分だった。普通は16時かららしい。フランス語で言われていることがよくのみ込めず、パソコンで英語に翻訳してもらう。話しているうちに、15時30分を過ぎ、清掃が終わったところだから特別に部屋に入ってもいいと言う。

すこしゆっくりしてから、街に散歩に出かけ、大聖堂を見たり、川辺でたたずんだりした。その後、お店に寄ってカミソリとシェービングソープを買って帰った。

11月18日(日)、パリ散策

朝は6時半起床。7時まで地下のゲーセンみたいなところで本を読んでいた。本当はロビーで読みたかったのだが、テレビの音がうるさくてやめた。

朝食はバイキング形式。もりもり食べて紅茶を2杯飲む。スマホで日本の新聞を読もうと思ったら速度が遅くて読めなかった。部屋に戻ると相部屋の荷物の持ち主が戻っていた。ひょろながいおじいさんだった。

荷物をまとめたり地図を眺めたりしていた。おじいさんが別れ際にじゃあねと言って出発した。ぼくもスマホの充電をしてから9時過ぎに出発した。

風が冷たいが、快晴で日向は少しずつあたたかくなる。ナシオン広場に出ようとしてさっそく道に迷う。スマホで確認してなんとか広場に出る。ちなみに、パリの広場は広場ではあるのだが、基本的にロータリー式の交差点であると思って間違いない。

朝からやっている食事屋さんも多いようだ。日曜なので基本店は休み。市街地に向けて歩いて行き、途中でセーヌ川を見ようとメインルートを外れる。川を見ながら歩く。風流だが、ぼくの気分は悪く、パリなど滅びてしまえばいいとすら思った。いよいよ自分の居場所がないように感じた。消えたくなった。ランニング姿の、特に女性が多い。パリで怪しく見られないためには、タイツを履いてランニングするのがいいと思われる。

中洲の島が現れる。サンルイ島だ。眺めながら更に進む。観光客が多くなる。ぼくも観光に来ているのだが、人混みが苦手なので観光地は苦手である。光を見よ。

特別見たいものもなかったがスマホの地図を見るとシェイクスピア・アンド・カンパニーと出ている。ジェイムズ・ジョイスが初めて『ユリシーズ』を出したところである。ノートルダム大聖堂から川を挟んで目と鼻の先。ノートルダムはやはり人気で、当の書店も見物人が絶えない。なかには入らず写真だけ撮った。

セーヌ左岸を土産物屋をチラ見しながら進み、ポンヌフを渡る。意外とポンヌフは短い。ポンヌフの恋人というフレーズしかぼくはポンヌフについて知らない。

ルーブル美術館らしい建物を過ぎて、チュイルリー庭園に入った。やわらかい砂の地面を歩く。孤独感が増す。ツール・ド・フランスのビデオで見た景色がところどころ視界に入る。観覧車とか。

庭園の入り口のところでトイレの使用権を80セントで購入した。軽くディスっているのだが、公共トイレは無料にすべきだと思う。生きているだけで金がかかるという過酷な現実を小用を足すたびに感じなければならないなんて残酷だ(あとでわかったが、道端にある公衆トイレは無料で使える)。

シャンゼリゼ通りをコンコルド広場から攻める。警察が肩からマシンガンをかけている。撃って、いや撃たないで。さみしいさみしいさみしい。たまにトイレ行きたい。

マルセル・ダソーの交差点を過ぎると、一気にお店が並び、表参道的雰囲気となった。ぼくには基本関係がない。スパスパと人混みを切り抜ける。ローラン・フィニョンが89年のツールで最後にダッシュしたと思われるゆるやかな下り坂を逆方向にゆるやかに上っていく。

凱旋門に着いた。写真を1枚。証拠である。中学のときなら泣いただろうが、乾ききった26歳のぼくはほとんどなにも感じなかった。ロータリーを回ってそのままグラン・ダルメ通りを進む。

ブーローニュの森までたどり着き、のんびりしようと思ったものの、のんびりする方法がわからず、早々と退散し、せっかくなのでエッフェル塔を見に行こうと思う。

途中ヴィクトル・ユゴー広場でレストランに入り、昼食を食べた。メニューが英語にもかかわらず、よく理解できず、先にビールをもらった。結局ハンバーグに目玉焼きがのっかっているものが出された。それを注文したということだ。デザートとコーヒーまで頼んで、少し佇んだあと会計を済ませて店を出た。

タバコ屋を見かけたので入ってみる。ジタン・マイスを頼んだら、マイスはないと言われ、普通のやつ、つまりfiltreを頼んだ。

トロカデロ宮殿に着く。エッフェル塔がよく見える。パシャリ。もっと近くで見たくなり、宮殿を回り込んでイエナ橋を渡る。

いよいよ観光客が多い。ぼくも。写真を撮りたかったが、あきらめた。ブルドネ通りを南下し、エコール・ミリテール駅からメトロに乗った。パリ市内の移動は、メトロがおすすめだ。安い早い疲れない。

ポルト・ドゥ・バニョレ駅から、今度は道を覚えたので、すぐにユースホステルに着いた。

11月17日(土)、成田~パリ

パリの東外れのYHにいる。今は21時半過ぎ。ここには1時間ほど前に着いた。

初めから順に記す。4時半に起床。歯磨きと髭剃りだけして荷物を持って家を出た。5時25分の電車に乗る。新越谷で武蔵野線に乗り換え、東松戸から京成成田スカイアクセス特急に乗った。隣に座っていた若いママさんのベイビーにたびたびスキンシップを求められたが、これも功徳があるものと信じ、甘んじて受け入れた。成田空港の第1ターミナルに8時半には着いた。ポカリスエットを飲んで気合いを入れてから搭乗手続きを行う。

機械でチケットを発券し、わたしは預ける荷物がないのでそのまま手荷物検査を受ける。今回ドライバーを1本入れていたので、引っかかるかと思ったが、無事パスした。ちなみに折りたたみ傘もオーケー。

その後、パスポートのチェックを受け、出国審査は終わり、搭乗ゲートへ移動する。両替カウンターで1万円両替する。75ユーロを手にする。2012年に比べるとかなりの円安といえる。旅行に行くなら円高がラクだ。

今回唯一携帯している本、ジャン・ジュネの『薔薇の奇跡』のフランス語のペーパーバックを読み始める。結局は機内でもかなり読み進めた。隣に座っていたフランス人女性2人が

—あの人は日本人?—さあ

と話しているのが聞こえた。10時間以上飛行機に乗り続けてやっとワルシャワに着いた。トランジットの際に手荷物検査あり。成田より厳しい感じがしたが、荷物は無事パスした。搭乗ゲートに移動し、夕陽を浴びながら本を読んで出発を待った。

16時半に無事飛行機は飛び、18時半にはパリのシャルルドゴール空港に着いた。市街地行きの特急電車とメトロに乗り、ダルタニャンYH(ユースホステル)にたどり着いた。このYHの環境について色々言いたいことはあるのだが、またそれは改めよう。