さようならありあまる時間

ありあまる暇を要求するのは
子どもがすることだろうか
役に立ちそうもない考えごとを
蜘蛛の巣でも作るみたいに
人目をさけてはりめぐらすのは
子どものすることだろうか

大人とは忙しい人間たちであるというのなら
ぼくもとりあえず大人になったということだろう

ところで
ぼくの時間はなにに使われているのだ?
なにに仕えているのだ?

意味のあることか意味のないことにしてほしい

The youth passed, and then

まだ若いのだし
人生はこれからだ
と思っていた
いや、まだそう思っている

いつのまにか
いやきづいたら
いろいろなことが
うまくいかなくなっている

人生これからではないのかもしれない

のぼりつめるのが人生か?

青春も余生も、たくさんだ

ただの日記 Nov. 16th

16:45。きょうはやすみをとっている。ふつうにちようのひぐれごろからうつっぽくなるものだが、きょうはげつようのいま(ゆうぐれどき)になり、うつっぽくなっている。ひとりのにんげんの、すくなくともぼくの、ちかいみらいへのそうていはかなりかたよっていて、きっとまちがっているのでうつっぽくなるひつようもないのだとはおもっているが、ねがてぃぶなけいけんらにうらうちされ、あすのよそうはいつもくらい。

あさはちちおやのあぱあとにとまっていた。かのうならはやくおきようとおもっていたが、ふかのうだったのでおきたら9:40だった。れとるとのたいかれえをたべる。さくじつのつかれなのかたいかれえのしげきのせいなのかわからないが、といれからでられなくなり、けっきょくごぜんちゅうのほとんどをといれですごした。にちようのゆうがた、あしかがでのさいくりんぐごにきたせんじゅのちちおやたくまでりんこうでじてんしゃをはこんできたので、じてんしゃでかえるつもりだ。12じになってやっとりゅっくをせおい、じてんしゃにまたがった。おもったよりそとはあたたかくなっていた。

とないのちゃりいどうはきけんがおおく、まったくおすすめできない。じかんもかかる。13じごろとうきょうえきふきんをとおり、そのごあざぶじゅうばん、しろかねだい、めぐろをけいゆして14じまえにきたくした。が、つかれがひどく、ちょっとよこになると16じくらいまでとてもうごけなかった。

ゆうはんはかれえでも(でもといっておいてほかにつくれるものはない)つくろうとすうぱあへいく。

ひるごはんをすきっぷしていたので、かるくおにぎりなどをさきにたべる。

17:00。にちじょうとはちいさなぜつぼうのつみかさねだろうか。

ただの日記 Nov. 12th

まだ日付が変わる前だ。さっきお腹をこわし、早めにベッドを展開して寝ながらこの記事を書いている。なんで書いているのかというと、書かないとなにも書けなくなるからである。

朝は7時過ぎに起きた。スパゲティをゆでる。たいして時間もないのにスパゲティをゆでていくのはなにかの意地だろうか。8時20分に折りたたみ自転車を持って家を出る。外で展開して会社へ。大体20分強で事務所に着く。会社に行ってなにかいいことがあるか?よくわからない。とりあえず行かねばならないのである。もし理由をつけて生活を止められるのならいつでもそうしたい。

昼。ミーティング前にやや急いで弁当を食べる。ミーティング後にコーヒーを買いに出る。

夕刻。早く帰ろうと朝から思っていたがそうもいかなかった。本当は仕事が終わらずとも帰ったほうがいいのだ(暴論かな、そうでもないと思うけど)。20時過ぎにエレベーターに乗った。

帰宅後、息抜きがてら外食に出た。胃が弱っていたのか、その後調子を崩してしまった。

ギターが弾きたいし、20時で閉まる店で買い物がしたい。会社というやつはそんなことまで考慮してくれない。

ハードワーキングは好きじゃないし、そもそもワーキングが好きじゃないのだった。会社が変わってもそこは同じだ。べつにそれでいい。ぼくはワーキングが好きになるために会社を変えたわけではないのだから。

寒さと乾燥で手が荒れてきた。冬だな。手洗いが多すぎるのがいけないが、Covid対策で洗わないわけにもいかない。

I need the salvation, but where can I get it?

ただの日記 Nov. 9th

寒くなった。台所の換気扇が回りっぱなしである。切らないと。

月曜日が大嫌いなのは仕事が終わらないからだが、今日は締め切りも少し先(といっても水曜だけど)だったので、早めに切り上げて帰ってきた。あまり月の前半に残っていると後半に身動きが取れなくなるのだ。(そもそも残らなくて済むのならそれが一番いい)

いざこうしてMacを開いて久々に投稿画面を開くと、特別書くこともない。自分の枯れ具合にはびっくりする。詩も歌も書けない。日記は駄文であり、気休めである。悲しいのだが、1日少しだけ本を読み進めるくらいしか出来ないのである。

朝は6時過ぎに起きた。起きたくはなかったが、土日にだいぶ寝たので、起きなさいということだろう。布団と防災マット(敷布団の代わり)をかたす。昨夜カレーを作ったので、それを温める。朝食。飲み物は紅茶。

以前は起きてから家を出るまでに2時間とかの猶予を設けて、徐々に精神を仕事に向けさせた(あるいはギリギリまで仕事のことを考えなかった)のだが、今は起きて1時間かそこいらで家を出なくてはいけない。苦痛この上ない。朝はいつも気分が悪いのだ。ほとんど一日中気分が悪いのだけれど、朝は特に悪い。なのに朝が一番バタバタしているとは皮肉もいいところだ。

自転車で事務所へ向かう。少し寒い。が、一応セーターも着ているので震えるほどではない。陸橋で担ぎを入れ、あとは飛ばし過ぎて事故を起こさないよう、ペースを抑えながら川の近くのあまり広くはない道を走り抜けていく。

いつも事務所の入り口で検温の数値が出ないと引き留められ、係の人を睨み付けていたのだが、今日はすんなりゲートをくぐることができた。エレベーターで上の階へ行き、トイレに寄ってから(仕事よりトイレが大事だ)、席に着く。パソコンを出して開く。

仕事、仕事、仕事。仕事について書こうとは思わない。(それが如何なるものであれ、好きかと言われると困る。)

昼休みに少しだけジュネの「花のノートルダム」のペーパーバックを読み進める。

帰宅後、少し横になってからギターを弾いた。日に日に下手になっている気がする。平日にギターが弾けるなんてラッキーだ。

酒を控えて、コーヒーを呑みながら音楽を聴いていた。

なぜ日記を書くのかというと、明日全く違う1日になったときに、じゃあ昨日はどのような幻の中に自分がいたのかということを思い出すために書いている。いや、単に明日が怖いので今日を引き留めておこうと書いている。

今日と握手をしたこともなければ、明日に手招きされたこともない。日々とは、そういうものだ。

ただの日記 Nov. 3rd

とてもねむい。ごぜんちゅうはぐずぐずとねていたというのに。

さくやはかなりしごとがながびいてしまい、しゅうでんのひとつまえでかえってきた。あめがふっていた。さけものめずにしゃわあだけなんとかあびてねた。

くじすぎにめがさめたが、そのごねたりおきたりしてべっどからはなれなかったため、おきあがったのはひるになってからだった。

しょくじをすませ、せんたくきをまわす。せんじつよるにせんたくきがこわれ、ゆかをぬらすというぷちとらぶるがあり、そのごしゅうりしてなおったものの、あまりおそくにせんたくするのはさけている。

きんようびにぷれぜんがあり、べつにそこまできあいをいれなくてもいいとはおもいつつ、すらいどをしあげたり、はっぴょうにつかうさんぷるこおどをなおしたりしているうちにじかんはとけた。こおどはいろいろともんだいがあり、うごくかたちにしてさあばあにのせられたのはにじゅうじもすぎるころだった。

こんびにへかいだし。さけとゆうはん。しょくごにだいどころからういすきいをだし、おいうちをかける。のまずにやってられるか。

ぎたあをひきそこねた。このまえひいたのはにちようだったかな。

さいきんのじぶんは、じぶんのしゅみさえよくわからなくなっているようだ。