頭にBluetoothイヤホンを巻いてこの日記を書く。さっきまでPussycatのMississippiを聴いていた。
会社を夕方早めに出たらなかなかいい気分になった。てきとーな理由で、あるいは理由もなく辞めることを考えた。よくそんなふうに考えている気がする。
海外でケータイ代がいくらになるかわからないのでケータイショップに行った。驚くほどの料金体系でもなかったので安心した。実際はモバイルルーターを借りてしまうのが安上がりらしい。
帰宅してからしばらく掃除をしていない部屋を軽く掃いた。きたない。休みの度に出かけてしまうので家事がおろそかになる。解決策は休みの日に家事をするか、休みでない日に家事をするかのいずれかだ。
部屋を掃いた勢いでクツを磨いた。痛んできているクツもある。修理に出さなくてはいけないかもしれない。クツ磨きはわりと落ち着く作業ではある。
たまたま本棚にジュネの『泥棒日記』の日本語版があったので読み始める。最悪〇〇だから大丈夫みたいな思考法があると思うが、一体最悪とはなんなんだと思う。あなたの最悪は最悪ですか?最悪もひとつのフィクションであり信仰であり、それはあなたがつくりだすものなのだ。
だから最悪は最悪じゃない。最悪はきっと更に悪い。そしてときに最悪はenjoyableなのだ。