冷蔵庫がうぃんうぃを音をたてている。さっき自販機にジュースを買いに行ったら、夕方の雷雨のためかダウンしており、電気のついている自販機まで歩いた。
また週があけた。ぼくはまた会社に行った。ぼくはまた会社に行ったのか。次の日曜は自転車レースがあるから日曜に髪を切っていた。
仕事の中身は特には書くまい。白状すればぼくは会社がきらいだ。ぼくが人生がきらいであるのと同様に。最近は起業しようと妄想していたが、そもそもぼくは会社がきらいだ。会社がきらいな人間が会社をつくるとはどういうことなのだろう。ぼくは会社員である以前にひとりの人間でありたい。どんなに社会にとって役に立たない存在でも。
日常について言えばぼくは大部分を浪費している気がする。浪費した結果なにを得ようとしていたのかさえ忘れかけている。困ったことだ。同時に、生きているのが精一杯でもある。
妄想に次ぐ妄想。ぼくはくだらないことのために死ぬのだろうか。ぼくはくだらないことに花を咲かせたい。ぼくはひとのいう現実というものが好きではない。現実などありはしない。あるのはそれが現実だという個人の信仰だ。現実とは高度な近代の宗教なのだ。
こんな意味のないことを書きつらねたところで、現実においてぼくは無力だ。人生に満足なんてしていないが、人生には飽きた。ぼくは死にたいわけじゃない。ただ、フローチャートで片づいてしまうような生にはこれっぽっちも興味がないという、ただそれだけのことだ。