起きたら11時だった。目覚ましが5時ごろなった時点で雨音が聞こえたので、自転車に乗ろうという気も失せてしまったのかもしれない。先日までと打って変わって涼しい1日となり、午前中はすやすやと寝ていたというわけだ。
食べるものがないので近くの大型ドラッグストアに行った。スパゲティなどを買い込む。帰ってきてスパゲティを食べる。食後にギターを弾く。髪を切りたいと思っていたので、ちょうど雨もやんでいるし自転車で家を出た。
床屋で少し待つ。なんだかんだ時間がかかり、帰宅したのは17時30分。また雨が降ってきた。自転車屋に電話をかけるものの、応答がない。タイヤを買おうと思っていたのだが。直接行ってしまったほうが早いと思い、クルマを出した。
自転車屋は開いており、店主が修理をしているところだった。雑誌などを見て待つ。作業が終わったところで店主(Sさん)のロングトークが始まり、店を出たのは20時30分とか。
2度目の帰宅後、牛丼屋でささっと夕飯を食べ、ドイツ語の聖書とソローの『日記』を少しずつ読む。ここのところ読書の大半はこの聖書に充てているが、なにせドイツ語の能力が低すぎて内容を理解できない。少しずつわかるようになるものと信じて読み進めているが、さてどうなるかはわからない。
その後、ひとりブルベ第1弾の「足利~郡山~足利」の計画でロードマップを確認していた。天気さえよければ次の週末に決行するつもりだ。
この後(生きてても)なんもいいことないじゃんと思うとひどくつまらなく思える。なんもいいことないかはもちろんわからないわけだけど、なんもいいことないんじゃないかとつい思ってしまう。かといってぼく自身はぼく自身を大きく変えるつもりはない。
巷にあふれる諸々の、人生のモデルケースなるものを参考にするとひどく味気ない気持ちになる。マイホームがどうの、結婚がどうの、貯蓄がどうの、キャリアがどうの、老後がどうの、etc, etc…。ひとつひとつの問題は大事かもしれないが、おれにあてはめないでくれよという気がする。勝手に自分にあてはめて疲れているのは自分かもしれないのだけれど、くだらない情報(というかアドバイス)を垂れ流さないでほしい。
とってつけたようなシアワセ感を演出するくらいなら、「なんもいいことないじゃん」と素直に思っていたほうが個人的にはしっくりくるので「なんもいいことないじゃん」と思っている。人生をあきらめているわけではない。挑戦もしている。
生きることはハッピーであったほうがいいと思っているが、生きることがハッピーであるという前提に立つととても苦しい。生きることは本来ハッピーではないのだ。だからこそハッピーであってほしいと思うのではないだろうか。