自宅があまりにも寒いので近所のネットカフェに避難した。自宅でも暖房をかければそれなりにあたたかいはずだが、個人的に暖房は禁じているので、夜はかなり冷える。ホットカーペットだけは使うようにしているので、押し入れのある部屋でうずくまって本を読んでいることはよくあるのだが、そろそろそれも限界な気がしてくる。
会社の新年会は今週の金曜日だと思っていたが、本当は来週の金曜日だった。ギターで1曲ひくことになっており、ほぼ毎日のようにアコギかギタレレで練習をしている。素直に楽しいのだが、なかなか上達しないのが歯がゆい。YouTubeを見るときもミュージシャンのギターばかり見ている。パソコンのキーボードをたたいていても、なにやらコードをおさえているような気がしてしまう。
作業に集中するために避難したはずなのだが、夕飯を食べてThe Seekersのコンサートに見入っていた。最近 The Seekers をきくことが多い。素晴らしいバンドなので、きいたことがないかたには自信を持っておすすめしたい。オーストラリア出身のフォークバンドだ(活躍は主にイギリス)。素晴らしい音楽をきいていると、たとえ自分の演奏がつたなくても、すこしでも音楽にかかわっているというそのことだけで、意味があるように思えてくるから不思議だ。ぼくは初心者の域をまったく出ないが、音楽をやることで前向きになれる気がする。正確にいえば、音楽をやることはひとを下向きにはしない。
ちなみに、ぼくが披露する予定の曲は、RenaudのHexagoneだ。コードは2つのみしか使わないので、最初簡単かなと思ったが、そうでもなかった。やっと歌詞を覚えたので、コードチェンジをもうすこしスムーズにしたい。
2日前の夜に酔っぱらったままレポート用紙に恋の詩をかきつけていたが、ここに出すのはためらわれる。ある女性に宛てて、「あなた」とかいているうちに、「あなた」の指すものが「あなた」ではなくなっていくのである。
たばこをやめようとしていたのに、今日も朝とおやつで2本吸った。そういえば後輩から更に2本もらった。ぼくはぼくの好きなひとにきいてみたいのだ、「どうすればたばこやめられますか」と。ぼくの期待する答えは、「すいたくなったらそのたびにわたしに声をかけて。わたしそのたびにあなたにキスしてあげるわ」である。おそらくこうした答えはだれからも得られぬだろうから、ぼくはあえてきいたりしない。たばこをやめれば彼女ができるかなと思い、中断することもあったが、別にやめたからといって彼女はできないと思う。そう思うとまたすい始めてしまう。そのくりかえしだ。ぼくははやく「 あなたにキスしてあげるわ 」といわれたい。
「ひとりよがりだ」と思うとき、自分に生きる意味はないと思ってしまう。おもしろい。だってひとりが好きだからだ。ひとりが好きなのに自分がひとりであることに気づくと絶望する。べつにひとりだってかまわない。ひとりだってかまわないが、そばにだれかいる(ような気がする)と思えればいい。自分にはだれもいない、そのように思うことがとてつもなく心には負担なのだと思う。
「冬もそのまんなかあたりなのでしょうか。ご連絡もせずにすみません。どのようにあなたをお誘いすればよいのかわかりません。いや、白状すれば、自分があなたを誘うきっかけがないのです。前回からわたしはパワーアップしたのかときかれると、いや、そうでも、と答えるほかありません。わたしが与えられるものは多くありませんし、わたしがすすんで差し出すものは、大抵のひとにとって、特に必要としているものではないでしょう。あなたがわたしに会って、なにか得られるものはあるのでしょうか。いや、なにも得られなくてもかまわないのかもしれませんが、それであなたは満足なのでしょうか。わたしはあなたに会えたらそれで満足です。ほかに望むことはありません。でもね、こういうふうにお誘いしたら、あなたが困ってしまうのではないかと思って、こういうふうには誘えないのです。だからわたしは、楽器の練習をしたり、お茶を淹れる練習をしたりしているのです。あなたがわたしのことをさっぱり気にかけていないということもあるかもしれません。でもわたしは、あなたのことを考えながら過ごす時間を大切に思うでしょう。なぜだかよくわかりません。好きという言葉がしっくりこないと思うことがあります。好きという言葉は、わたしの気持ちをあまりにも要約しすぎです。べつに好きじゃねぇよ、とか思ったりします。告白なんかしたくありません。わたしはうそが苦手です。わたしの告白はさっさとわたしのもとを離れて空に昇っていくでしょう。わたしはわたしの気持ちが音にでもなって、いつも体から鳴り響いてくれたらいいのに、と思います。」