ル・アーブルへ行こうよ

Wi-Fiが相変わらず地獄のような遅さである。夜はほとんど使えないレベルである。一体どういうことなのだろう。非常に困る。快適なインターネットがほとんどぜいたく品のように感じるほどだ。

そんなことはどうでもいいのかもしれない。ノートパソコンをじゅうたんが敷いてある寝室に移し、あぐらをかいてこの記事を書いている。この部屋のほうがものが少なくて集中できる気がする。今は自転車も置いていないので窓際ががらんとしている。

フランス旅行までおよそ1週間となった。クルマでブレストまで行くことは決めているが、その後はどこに行こうか迷っていた。往路と同じルートでパリまで戻ってもよいのだが、なんとなく物足りない気がしている。ブレストからル・アーブルに抜け、ルーアンを経由してパリまで戻ったら面白い気がする。ル・アーブルは主要な港湾都市で、セーヌ川の河口がある。セーヌが果てるところをぜひ見てみたいと思った。ルーアンは史上最初の自転車レースといわれるパリ・ルーアンのゴールである。わたしの気持ちは復路寄り道で固まった。

荷物をどこまで削ろうとか、携帯など通信費はいくらになるだろうとか、運転がうまくできるだろうかとか、不安の種は尽きない。生きて帰ってきたいという、その思いだけはある。まだ日本でやりたいことや言いたいことや書きたいことがあるので、ここで死なれると困る。どうしてもというのなら全てを捨てるが、一体どのようなどうしてもがあるのだろう。

変わらず毎晩自分のために2時間設けている。意外と続いているので軽く驚きだ。昼間少し眠い。2時間遊んでいるようなものだから、生意気な行為なのかもしれないが、この時間がわたしの拠り所でもあるので、絶やさないのでほしい。わたしはこの2時間のなかで好きにやりたいのである。それもほとんどわたしの想像のなかだけで。

昨日今日と、たばこを抜いたので頭が飢えている。わたしはこの飢えを利用して仕事をしていた。明日も吸わないつもりだ。

どうせ死ぬという表現はあまり好きではないが、どうせかどうかは抜きにして死は誰しもに予約された最後の行為である。とはいえ、そこから絶対的に導き出される結論はない、とわたしは考える。死ぬからやらなければいけないことは、決まっているわけではない。死ぬからやってもいいことも、決まっているわけではない。死のうが死ぬまいが、やることはやる。そして死のうが死ぬまいが死ぬのだ。

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