来る土日はロングドライブでも行こうと思い、山形は新庄の山の中の宿を予約した。ついでにパリの空港近くのホテルを取ろうと画面に食いついていたが、高くてリッチか安くてプアかしか選択肢がなく、ひとまず見送った。帰りの日の便を考えていたのだけれど、街中から電車に乗ってもいいわけだし、向こうに着いてから予約したってかまわないわけだ。
昨夜、旅行4日目の宿をブレストで取ろうと思い、YHのホームページから予約を試みたが、前払金をクレカで払ったところでページが白くなって反応がなくなり、予約が完了したのかどうか定かではない。恐らく決済は完了しているだろうから、念のためYHに直接メールを出してみたが、今のところ返事はない。ちょっと不安である。もう一度くらいメールを出したほうがいいのだろうか。早く返事をもらいたい。が、最悪パリに着いてから電話かなにかで予約してもいいだろう。前回の旅行のときはほとんどの宿を予約せずに飛び込みで泊まっていたのだから、今回の自分は慎重というか不安がっているようでもある。
明日は会社の健康診断がある。たばこをやめたほうがいいんじゃないかとか、酒をやめたほうがいいんじゃないかとか、睡眠が足りないんじゃないかとか、いろいろと余計なことを考えてしまう。びびっていたらいけない。ここで自分を曲げてはいけない。わたしはわたしの健康を背負って行こう。わたしだってわたしの健康を追求しているのだ。検査ではわたしのこだわりなど歯牙にもかけないだろうが。
帰宅して夕飯を食べてからじょうろとプラスチックのケースを持って外に出てクルマを洗った。よく見えないので感触だけでサッサとガラスやボデーを拭いた。ここのところあまり乗っていないような気がする。今のクルマにしてちょうど1年くらい。マツダの最後のロータリー車である。会社の友人が乗っていたもので、冗談で「くださいよ」と言っていたら格安で譲ってもらえた。明日ガソリンを入れて土曜日は早朝に出発しよう。
自宅のWi-Fiがこのごろ絶望的に遅い。実を言うと父親が料金を払っているので、これも自分で払うようにしなくてはと思う。このWi-Fiさえ名義変更ないし駆逐すれば我が家で父親が払っているものは消滅する。わたしは遅いWi-Fiを引き受けてもだえ苦しもう。いや、もっと速いやつにしよう。
仕事は単調かもしれないが、わたしの生活はとらえどころがない。ゆるやかに自殺しているような気になることもある。負けてはいけないと思いつつ、負けるのが人生だとも思う。いや、もう負けていると実感する。もっと負けなくてはだめなのだ。勝っている人間はどこまでも勝ち続けて破滅すればよいと思う。勝とうが負けようが最後は死ぬのだ。負け犬よ死をなめろ。勝者はびくびくしていろ。
孤独だなと思う。孤独という言葉自体があちこちで使われてすでに豊かになりつつある。わたしは孤独以下である。孤独という語は深海を連想させるが、わたしは言うなれば水たまりである。すぐ乾く。しかし雨の後またそこかしこに巣くうのである。
わたしはたぶんラブレターをかきたいのだが、相手のことを考えてラブレターをかくことができないので、いきおい自分のことを考えてかくしかなくなる。わたしが恋愛などしたところで失敗するに決まっているのだが、わたしはただ失敗したときに、「うわあああああ」となったときに、自分のことを考えればいいと思っている。わたしは自分の精神のなかに、ありもしない相手をまるでそこにいるかのように錯覚するが、あくまでそれはわたしのなかのわたしによるショーなのだ。わたしは「相手のことを考えました」などとうそをつきたくないのである。わたしは物語をねつ造するだけだ。わたしはその物語を面白がってくれたらいいなとは思っているが、賛同してくれとまでは言わない。わたしたちは、わたしとして、わたしの集まりとして、向かい合うのではなくわたしの到達点を見つめて、ただ生きていく、歩を進める、にすぎない。わたしは孤独以下である。