思えば前のブログのとき、頑なに詩だけを投稿していた。今思うと大したものだ。毎日詩を書くのは大変だ。詩というスタイルに落とし込む手間もさることながら、精神的な疲弊も増す。その点日記は書きやすい。そんなわけでこのブログも駄文に満ち溢れている。
頭痛がする。月曜頭痛だ。明日には治るだろうか。事務所との相性がよくないのか人生との相性がよくないのかわからない。どちらも考えすぎだろうか。正直、新しい環境がほしい。
昨日マラルメの詩集を読み終えた。正直、フランス語でも1回目では「なんのことやら」と思う箇所がたくさんあるが、マラルメの凝り性と苦悩は垣間見ることができた。少し時間をおいてもう一度読みたい。
さっきまでシーカーズの「涙のカーニバル」を弾いていた。やはり名曲だ。ストロークのパターンがどうも詰まり気味なので、もう少しジャカジャカさせて力を抜きたい 。練習を続けよう。
夜は依然冷える。雨はやまない。何度紅茶やコーヒーを飲んでいることやら。体をあたためてがんばりたいが、すでにやられ気味であることも確かだ。やられ気味なのはいつものこと。やられ気味なのはいつものこと?
借りていたDVDを返してしまった。特に観るべき映画もない。チャウ・シンチー監督の「新喜劇之王」が観たいのだけれど、中華圏でしか上映していないようだ。早く日本でも公開してほしい。してくれないだろうか。映画を観に香港に行きたい気もする。昨日すっかり寝坊したので、東京への本の買い出しに行けていない。
日記よさらば、とある。ちなみにブログに書いているほかに、レポート用紙に手書きの日記も書いている。ので、ブログの日記を仮にやめてもわたしのなかでの日記が消滅するわけではない。日記のほうが更新の頻度が増えるし、詩よりも読みやすいかなと思って日記を多めに投稿しているが、わたしは日記を書く動機を見失った。しばらく日記はやめる。わたしは日記職人ではないのだ。
わたしはわたしの生活をわかりやすく紹介しようとは思わない。わたしの人生のディティールに、他人にとっての意味があるのかというと、おそらくないと思う。
わたしはまた愚直に詩を書いていきたい。意味がなくてもけっこうだ。「意味がなくてもけっこうだ」と返せる事柄に人は熱中すべきなのだ。