ネカフェにいる。作業をするために来たはずだが、今のところ、ポッドキャスト視聴、夕食、喫煙を楽しんだだけである。
たばこを吸うときにいつもほとんどいつも後ろめたい思いがする。もっと言えば、「たばこを吸う自分なんてくそだ」と思うのだが、自己嫌悪に陥りながらたばこを吸うのは不健康だ。吸うなら「ま、吸いたくなるときもあるよね」とのんびりかまえて吸ったほうがいい。
今日の朝はあまり早く起きれなかったので、必要なルーティーンのみこなして家を出た。昨夜弦を張り替えたギタレレを持ってオフィスに行った。オフィスもスーツもあまり好きではないのだが、なにかいい代替スタイルがあるのかというと、無職になる以外に思いつかない。好きな恰好をして好きな時間に仕事をして十分なお金が稼げるのなら、それは almost heavenな気がする。かつてぼくは「自分は給料をもらいすぎている」と思っていたくらいにはお金が嫌いだったので、今の自分が「あぁ、給料が安い、金がほしい」と思うときに、過去の自分の考えを思い出して笑ってしまうことがある。でも過去の自分も正しいし、今の自分も正しいのだと思う。
帰り際に、「これ以上(顧客からもらったドキュメントを)読んでいたら病気になってしまう」と冗談を言ったら、隣から「もうすでに病気じゃん」と突っ込まれた。なるほどぼくはすでに病気で、思い起こせばいつも病気なのだ。
自分の立ち位置を他人と比べる必要はないと思っているが、自分という人間は、時に自分より力のある人間から抑圧を受けていて、時にその恵まれた環境にあぐらをかいて自分より弱い立場の人間を罵倒していることがあるのだと思う。たまには周りを見渡す態度も必要だろう(あれ、矛盾?)。なにもかもあたりまえだと思っていてはいけない。無理にがまんすることはなるべく避けていいと思うし、逆に軽はずみな気持ちで周りの人にいやな思いをさせているのなら、そういった行為は慎むべきだ。
今日は3時間勉強するつもりであったが、無理ゲーな感ありだ。一体なんのために勉強などしているのだろうか。昼間に睡魔に襲われてまで。フランス語の詩を読むためか。ドイツ語の哲学書を読むためか。自分に合う英語の本を読んで頭を休めるためか。いつかコーランを読むためか。I don’t know why.
夜は冷える。起きているだけでもちょっとつらい。昼間がここのところ、だいぶ春っぽくなってきたので、すこし救われた気がしている。ぼくは夏が嫌いなのだが、とりあえず春には来てほしい。花見に行きたい。一緒に花見に行きたい人がいる。
家では特に歌う以外に言葉を発しないが、オフィスではぶつぶつ色々話しており、最近自分の言動にますます皮肉が増え、下手をすると嫌味ばかり言っている気がする。困ったな。困っているから嫌味を言っているのかな。他人のことをばかにしているのかな。ひとりえらそうにしているのかな。恵まれた環境にあぐらをかいているのかな。ある程度はそうなんだろうな。
「おまえには地獄がお似合いさ!」
「おまえは地獄というが、早計だよ。このビルは何階建てだと思ってるんだい。地下1階くらいで文句を言ってもらっては困るね。」
いったいなにがしたいんだろうな。こういう問い自体が間違っているのかもしれないけど。すでにやることはやったのかもしれない。だから「飽きちゃった」のかもしれない。でもここで「増やすな。捨てろ。」の精神が正しいのかもわからない。捨てるならアパートと自転車とギターと本とたばこと酒を捨てる感じになり、それはそれで心痛むけれど、「それで?」という気にもなる。そんなに人生とはユニークなものだったのだろうか。生きて死ぬということは誰にも共通なことなのではなかったか。
I always feel good. 本当?アラビア語では、元気ですと言うとき、「神様のおかげで」というふうに表現するのだが、「神様のおかげで」と切り出すのなら、ぼくもきっと「元気です」と言うと思う。ぼくが元気がないと言っているのは、あくまでぼくの目線から言っているだけであって、ひとりの人間として元気かどうかと問われれば、「いやまぁ、元気だけどさ、元気だけどね、元気なんじゃない」というような答えになると思われる。