ちょうど宇都宮駅を発つところだ。天気は晴れ。ふつうに寒い。これから二本松に行き、それから福島市を目指す。徒歩旅行の最終ステージである。
今回で9回目の遠征となるのだろうか。前回到達点まで電車で行き、歩いてたどり着けるところまで行ってまた電車で戻るというスタイルでやってきた。徒歩は完全にモバイルな移動手段だからこういうことが可能だ。遠くに来れば来るほどに、電車の移動時間と交通費が増える。足利からだと福島が限界な気がする。在来線で片道約4時間だ。往復で8時間。現地での活動は6時間程度となる。
連泊すればよいのではという意見もありそうだが、わたしは足に軽い持病があり、歩くのは丸一日が限界だ。その後しばらく休む必要がある。冬にこんなことをしているのは、足の皮膚が比較的乾燥しており、マメができにくいからだ。また、往復の交通費を考えても、日帰りのほうが泊まるより安いということもある。日帰りは慌しいと感じることもあるが、日常をブレイクするのに、この日帰りウォークはちょうどいい。
朝日が車内を照らす。宇都宮駅以北の駅名もなんとなく覚えてしまった。寒いなか人家の少ない道路を歩くのは、わるくないと思っている。とくべつ楽しいわけではないけれど、落ち着くのだ。本当のことがよく見える気がする。逆に言えばつまらないことは洗い流される。シンプル。生きて帰ること。そのなかで自分の行きたい場所へ行くこと。景色をながめること。好きな人の顔を思い浮かべること。近いうちにやってみたいことを醸造すること。
なんかもう旅の電車に乗っているだけで十分な気がしてくる。朝はいいな。普段なら皿洗いでもしているところだろう。朝日の祝福。ありがと。
歩く。リズムを刻む。同時にぼくはぶちのめされていく。勝つか負けるかでいえばぼくは負ける。歩けなくなる。歩けなくなったとき、なお心洗われた気持ちであるならば、それはつまり心が洗われたということなのだ。