WordPressの更新が終わらないので、『失われた時を求めて』のペーパーバックをめくりはじめた。背表紙は黄ばんでぼろぼろだが、中のページはわりときれいだ。もう一度くらい最後まで読めそうである。
ひとと話すと自分の立ち位置がわかる。思ったより自分は元気そうだ。自分の人生にひとりでもいいから観客がいるという意識が多少なりともぼくを元気にする。人生は喜劇だと思う。笑えることが大事なのだ。笑って挑み続けたい。求める対象がひとから見てくだらないことでも大いにけっこうである。
なぜか夕方帰宅してから時間ができたので、ギターを触った。コードチェンジが相変わらずぎこちないが、ぽろぽろ音が鳴るだけでも心のなぐさみには充分である。豊かに生きるのに必要なのはカネではなく、心の余白である。
毎晩2時間勉強時間を確保することによって、ぼくはいかなる日でも個人的使命を果たすことができる(かもしれない)。仮に残業が長引いたとしても、家で2時間机に向かえばよいのである。24時間働いてしまえばその2時間は食いつぶされてしまうが、仮にそんなことになったら仕事をやめればいい。
WordPressの管理画面を開いたついでにパソコンで記事を書いているが、最近キーボードに萌えなくなってきた。スマホか手書きが好きだ。キーボードは感触が硬い。
「ひさしぶりに生きていて楽しいと思いました」と書いた。どうかしている。楽しいわけがない。だが短い時間でもそう思ったのだろう。たまには楽しいと思ったほうがいい。たまには昼から夢想したほうがいい。なにも叶わないと思っていても、ひとつかふたつくらいはあきらめていたことが芽を吹くかもしれない。