今日の自分を呪うとき

ネットカフェでたばこを吸っている
(ネットカフェでたばこを吸え)

仕事の疲れがたまっている
これを貯蓄と言う

結局ギターに手を触れなかった
結局ギターに手を触れなかった?

さっき食べたどんぶりはイマイチだった
泣け

ひとつでも意味のあることをしたくて
ネットカフェでブログを書いている

嗚呼
モテるためにはどうすればよいのだろう
ネットカフェでたばこを吸っているようじゃ
だめだ
ネットカフェで今日の自分を呪っているようでは
だめだ

嗚呼嗚呼
明るく明るくなりたいな
夜空の向こうの光輝く
五等星のように

嗚呼嗚呼
イマイチな自分
たばこの吸い殻にも似て

たばこを吸うがいい
空気でも吸うようにして
ギターを弾くがいい
そして隣人を起こせ
ネットカフェを出るがいい
さっきどんぶりを持ってきてくれた
マドモアゼルに微笑み投げかけて

負けても幸せ~「秒速5センチメートル」を観て~

「秒速5センチメートル」を観た感想を述べます。

ひとことで言えばとてもよかったです。「君の名は。」もとてもよかったのですが、もしかすると「君の名は。」よりおもしろいかもしれないです。

注目すべきはラストです。貴樹が踏切で明里とすれ違う。貴樹はふりむく。しかし明里はふりむかず歩いていく。これは2人のそれぞれの気持ちを象徴するのかもしれません。貴樹はここで悔しい思いを感じたかもしれません。踏切の向こうに誰もいないことを確認したあと、彼はなぜか笑って去っていくのです。あれほどまでに追い求めていた明里ともう一度出会うことができないのに、どうして彼は笑うことができたのでしょうか。

あぁ、ハッピーエンドなんだと思いました。主人公がハッピーだと感じられるのならそれはもうハッピーエンドなんだと思います。貴樹は、明里と一緒になれないという意味においては、人生に負けています。しかしながら、彼は、(わたしが推察するに、)自分からハッピーになろうと思ったのではないでしょうか。明里のことは未だ好きなのでしょうし、桜を見ると彼女を思い出してしまうのは確かにそうなのでしょう。

明里がもう彼を気持ちの上で「放した」ことを察して、彼は彼の過去を「放した」のだと思います。そんな彼がとてもかっこいいと思いました。

わたしにとって本物のアニメとは、「もう一度戦おう」と思わせてくれるアニメです。「秒速5センチメートル」は、そういう意味で傑作でした。

わたしがしたことよりもわたしがしなかったこと

「ぼくは今日おサケを呑んだかもしれない。でもぼくは今日たばこを吸っていなければ、オナニーもしていないのだ。選択とはつまりそういうことだ。」

いつのまにかつらい日々に突入していた。つらい日々とは、明日が見えないのに明日が大して今日と変わらない日々のことを指す。

午後からずっと頭が痛く、帰宅するなり着替えながら横になるとそのまま寝てしまい、起きたら21時前だった。朝になっていなかっただけよしとする。持ち合わせの現金が8円しかなかったため、コンビニへ行ってお金をおろし、あれこれ食べ物を買った。

そんなわけで今日は自転車に乗っていなければギターも弾いていない。不機嫌になりたいところをぐっとこらえてわたしは思う。こんな暑い日には死ななかっただけ立派だ。家で寝て英気を養っているだけ偉大だ。

職場は新しいことをやろうとして悲鳴をあげているのかもしれない。それはわたしもそうだ。それ以前にわたしは職場に行き、自席に座っているだけで気持ちがすりへる。わたしは一瞬思う。「仕事とはこころの体力勝負なのだろうか」

失いたくないのは生活か。失いたくなのは信用か。失いたくないのは心の平穏か。

「あなたが必要としているものをわたしは必要としていない。わたしはあなたが必要としていないものを必要としているのだ。」

勘違い

なにを勘違いしていたのだろう
ぼくは
などと去年のわたしにツッコミを
入れてみる
しかし
すべては
勘違いなのだ

生きているのも勘違い
死ぬのも勘違い
仕事に行くのが勘違いなら
遊びに行くのも勘違いだ

好きなひとにわくわくしながら
会いに行く
勘違いのなせるわざだ

でもそれでいい
なぜなら
当事者にとって
すべてのことはすべてのことだから
生きている自分について
反省なんかするな

ひとりぼっち

ぼくはこの世に
ひとりぼっち
ひとりぼっち
だけど
ぼくはこの世に
ひとりぼっち
ひとりぼっち
だから
ぼくはぼくはぼくは
くはぼくはぼくはぼ
はぼくはぼくはぼく

頭が晴れた
ぼくはあなたにないものがある
ぼくはあなたにあるものをもたない
だからぼくにはなにもない

はやくしにたいと思うのは
人生を輝かしいままにしたいからか
ながくいきたいと思うのは
人生をなんとか輝かせたいからか

はやくしにたいと思うのは
人生なんてこんなもの
だからもういいもういい
と思うからか

あしたなんて
今日と一緒かい?

今日は今日でも
なんにもできない今日?

ありがとう
でもだから
そんなことはないんだよ

卒タリアン

今朝、自炊をしたのだが、とんでもないものができてしまって、ショックを受けた。食材もいちおう使い切ったので、早すぎる気もするが卒タリアンとする。

今夜は1日に呑む量の2倍のお酒を呑んで、だいぶやられ気味だ。

夕方に帰宅後、ベッドに横になったら、そのまま寝てしまい、9時前に目覚めてコンビニへ行き、酒とつまみとパンを買った。自転車に乗っていなければギターの練習もしていない。「自分はクズか」と思いつつも呑み始めた。

2回目の「ブレードランナー」を見ていた。1度目は疑問も多かったが、2度目はわりとすっきりとした後味だった。たぶんこの映画は視聴者を迷わせることを目的としているわけではない。リドレー・スコット監督は視聴者を楽しませようとしている。その方法が独自なだけだと思う。

梅雨も深まってきた。梅雨も夏も正直あまり好きではない。だが、この時期の夜は好きだ。

「おまえだけはおれのことをわかってくれている」

Super Hero

超絶疲労。言ってみたかった。

ネットカフェでたばこを吸っている。たばこを吸った罪の埋め合わせに記事を書いている。

今日は朝から台所で果物ナイフを握り、マカロニスープを作った。あまりおいしくなかったので、もうやりたくないのだが、まだ食材があるので明日もなにかしら作る予定だ。ぼくには料理のセンスがまるでない。

ネットカフェに来たのはエッチな動画を見るためだったのだが、ぼくの見たい作品はどのサイトを見てもないか、もしくは視聴できなかった。どうやらエッチな動画の好みも平均から外れてしまったらしい。

去年の今ごろは無駄な不安をだいぶ抱えていた気がする。今のぼくは無駄なあきらめを抱えている。

「ひとのせいにすんなよ」とよく自分に言い聞かせている。だが、なんでもかんでも自分のせいにすることもない。

クリーニング店の帰りに見た夕日がきれいだった。リアルが好きだ。リアルな夕日が大好きだ。

3年ぶりのスーパー

This article was originally written on June 18th.

3年ぶりにスーパーマーケットに行った。もちろん、食料品を買うためだ。

  • ペンネ_2袋
  • バナナ_2袋
  • 玉ねぎ_1個
  • じゃがいも_1袋
  • 人参_1本
  • トマト_4個

を購買した。わたしはこれからしばらく自宅ではベジタリアンになるつもりだ。少しは料理もしようと思う。ちなみに今日の夕飯は

  • バナナ_3本
  • トマト_2個
  • コーヒー

だった。明日の朝は久しぶりにマカロニスープを作る予定だ。わたしが4年と少し前に足利に来て働き始めたとき、家ではマカロニスープばかり食べていた。たまに牛丼屋に行って牛丼を食べるととてもリッチな気分がした。

あのころに戻りたいとは思わない。わたしは次に行きたいと思っている。わたしはあきらめたくないと思っている。あきらめた結果あきらめられた明日と顔を合わせたくない、そう思う。

とはいえ、明日はわたしの迷いなど知らぬまま、ひょっこりやってくるだろう。わたしはわたしのことを見捨ててやりたい。

またきみに会えると思っていたよ

ぼっち解消みたいなタイトルになってしまったが、きみとは太陽のことだ。

本日はわたしの所属するサイクリングクラブの走行会デーで、8時半に足利総合運動公園に集合した。くもりのなか、途中合流も含め8名のライダーが集まった。足利から葛生へ向かい、その後、北上して牛の沢峠を越え、蓬山ログビレッジでお昼休憩を迎えた。牛の沢の上りは雨が降っており、半ソデ短パンのわたしは、「こりゃー着てくるものを間違ったな」と思ったのだが、午後は短い時間ではあったが晴れ間ものぞき、うつ気味のわたしの心にも一条の光が射した。

足利市内に戻り、自転車店でのんびーり(午後5時くらいまで)したあと、帰宅し、あわてて家事を片付ける。洗濯機から洗濯物を取り出して寝室に放り投げ、メイン2部屋の掃除機をかけ、泥のはねた自転車を掃除する。疲れで意識がふわふわする。ひといき入れようとコーヒー豆をごーりごーり挽いて(豆挽きのカズオ)、うすめにコーヒーを淹れた。

自転車店で見た雑誌の記事を回想している。美女クライマーたちの峠レポートである。こういった記事は男性向けに書かれるのだろうか、それとも女性向きに書かれるのだろうか。個人的には女性ライダーがもっと増えるといいなと思っている。サドルの上でこそ魅力的なひとは、男女問わずいると思う。前向きなわたしを見たいひとがいれば、ぜひ上りでのわたしの走りを見てほしい。

このあとは夕飯を食べてから、映画「ブレードランナー」のつづきを見る予定だ。ぐっとくるところがあれば共有したいと思っている。

眠れ獅子

Saturday Headacheと一緒に中華屋に来ている。今日の活動時間は今のところとても短い。午前中と午後の4時から7時まで寝ていた。午後は自転車に乗っていた。これがぼくの1日の全てだ。家事はひとつもしていない。

明日はサイクリングクラブの例会がある。が、天気は読めず、中止かもしれない。(カラリと晴れてふつうに実施されるかもしれない。)

あたまがいたい。こんな毎日がつづくのだろうか。こんな毎日とは、なにかを恐れて生きる毎日のことだ。こんな毎日とは、自分が主人公にはなれないとあきらめる毎日のことだ。

欲望を捨てることはない。しかし、欲望を減らすことはわるいことではないと思う。