クーラーつけたよ

梅雨明けでやってきた猛暑に耐えきれず、クーラーを解禁した。部屋がかびるのもいやだったし。

仕事がやや忙しく、つかれがとれない。プロテストのつもりで合間にギターを弾き続ける。「なごり雪」を弾いている。最高である。

洗濯物がたまり、食材は特になく、家事が滞っている。家事が好きだったのかというとそんなことはないが、仕事で家事がたまっていくのはなんだかなという気がする。

7月おわりのレース以降、まともに自転車に乗っていない。しゃがむと右膝が痛い。会社の和式トイレがつらい。今週末乗れたら乗ろうと思っている。のんびりやりたい。

今はファミレスSにいる。ファミレスSにきたので日記を書いている。ここのところの日々のルーティンだと家でものを書かない気がする。本もあまり読んでいないのである。

自転車でまた福島方面を走りたい気もするし、高知と福岡に行ってみたい気もする。場所を変えるのは悪くないことだ。本当に必要なものはなにか。自分が必要だと思っているものだ。

ギターとチャリだ。あと洋書。

運悪くどれもなくても、また手に入れられる日も遠くはないと思うので、身ひとつあればfineということにする。

人生に足りないもの。気持ちだ。いや気持ちは足りている。気持ちを曇らせるものが過剰なのだ。

太陽は地球が曇りでもつまらない顔はしないだろう。曇っているのは地球のほうである。

7月も終わりだね

いつのまにか
7月も終わりだね

今日は7月31日

くもりと雨が多かった
7月も終わり
衝動買いで貯金を切り崩した
7月も終わり
髪を一度も切らなかった
7月も終わり
よくビールを呑んだ
7月も終わり
部屋の虫がふえた
7月も終わり
ひとを好きになることに自信が持てなかった
7月も終わり
ギターを弾き続けた
7月も終わり
あまり詩を書かなかった
7月も終わり


7月最後の朝
窓をあけて
椅子に座り
紫色の空をながめている
旅をしていたら
いい朝だと思うだろう
旅をしていたら
いい朝だと思うだろう

会社の仕事よ

はじめに言っておくが
おれはおまえがダイキライだ
おれが好きなのは
自転車とギターと美少女だ
覚えておけ
会社の仕事よ

おまえはおれから
時間ばかり奪っていくね
おれはおまえのために
ギターを弾く時間を削り
クリーニング店に規則正しく
ワイシャツを出しに行くことを
がまんしている
おまえがおれに残すものは
シェイプアップされたサラリーだけだ

おまえはおれのやりたいことは
なかなかさせてくれない
役に立つのかわからないが
今日なんとか金に換えられる
そんなめんどうなことばかり
おれにさせるのだ
キラキラキャリアアップなど
おまえに関わっているかぎり
おれには縁がない

おまえはおれを暗くする
おれの表情を曇らせ
おれの姿勢をひんまげる
おまえがおれに与える
未来とはどんなものだ
機械ですら関心を示さないような
変化に乏しい
人間的欲望を骨抜きにしたような
未来だ
なにが喜ばしいのか
おまえはきちんとおれに示さない
おまえはなにも言わないのだ
おまえはおまえ自身が恵みであると
おれに言っているのだろうか

悪いが
いや悪くもないと思うが
おれはおまえのために
生きようとは思えない
おれにはおまえが重い荷としか
思えない
おまえを背負いつづけたすえに
おれはどんな景色を見るのだろう
平凡な日曜の里山の景色でも
見るのだろう
その景色は
おれがおまえと関わったことで
すこしは違って見えるのだろうか
おれは過ぎ去った時間を思って
いらだつだろうか
それともおまえのことは
もう汗とともに風に託してしまって
さっぱりとした顔をしているだろうか

やりたいことはなにもない

洗濯機がうなる
彼とは話があわない
冷蔵庫はだまっている
いつかわたしを陥れるために

時間が足りないと
思っていたら
特別やりたいことも
なかった

やりたいことのほとんどは
ちいさな泡となってはじけた
わたしはやりたいと思ったことに
ひととおり手をつけたはずだが
いつのまにか
わたしの手元には
なにもなくなっていた
妄想さえも飛び立ったあとだった

これから死ぬまでのことを
考えることはわたしにとっては
無益で
考えても死にたくなるだけなのだ

わたしは他人の想像を裏切り
わたしはわたしの想像を裏切る
それでよいのだ
生きるとはそういうことなのだ

やりたいことはなにもない
梅雨もじきに終わるだろう

Life is too long

雨が降っているようだ。夜で、暑くなったので窓を開けている。静かでよい。

早起きするつもりだったが、起きたのは8時半すぎだった。スパゲティを茹で、朝ごはんとし、のんびりしていた。雨が降る気配がなかったので、出かけたくなり、昼前に少しばかり自転車のトレーニングに出た。

お昼に戻り、レトルトカレーを温めていたところで、会社の先輩がぼくがあげる予定だったBMXを取りに来たので、自転車を渡した。

昼ごはんを食べて本を読んだところで、再び自転車に乗った。富田から根古屋森林公園へ向かういつもの練習コースだ。先日郡山に行って以来、ロードレーサーに乗っていなかったので、体が感覚を取り戻すまでしばらくかかった。

森林公園でぼんやりした。久しぶりのライドでつかれたのかもしれない。水道で水を汲んで街中へ戻った。16時ごろ帰宅したが、雨のことを考えると早めでよかったのかもしれない。

部屋のそうじをしたかったのだが、17時ごろ横になった瞬間にすっかり寝てしまい、20時すぎにやっと起きれた。外食するにも遅いと思い、傘をさしてコンビニへ。

今は22時を回り、紅茶を呑んでいる。3連休で、特別用事もないとはめずらしい感じだ。来週はレースなので、3日間みっちりトレーニングをしようと思っていたが、天気予報を見たら明日から1週間雨マークがつきっぱなしだ。実際が曇りなら出かけるが、遠出は難しいだろう。

発作的に注文したMacBook Airが水曜日に届くみたいだ。また腰を据えてプログラミングをやってみようと思う。

Resizing My Life

ここのところ静かにウツだった。ウツが悪いとは思わない。そういうときもあるよねと、そういう感じだ。元気でも元気じゃなくてもいい。嫌なのは特定の状態を強要されることだ。

最近よかったことはSNSの大半をやめたことだ。ストレスがいくぶんか減った。仕事で使うならまだしも、個人のレベルでは好みの問題だ。ぼくは特別チェックしたい事柄はなかったし、ノイズのような情報ばかり目に入って消耗していたからこのタイミングでやめたのはよかった。

ついでにパソコンでWindowsをやめた。今はLinuxを使っている。Ubuntu Desktopをインストールしたが、かなりいい感じだ。家庭でも十分便利に使える。Windows以外の選択肢筆頭はiOSだろうが、Linuxも場合によってはおすすめだ。

先週の金曜日に折りたたみ自転車を注文してかなりお金を使ってしまい、今日預金の残高を見たらびっくりするくらいお金がなくなっていた。浪費は禁物だ。とはいえ自転車を手放す気はないけど。

生活を見直すいい機会なのかもしれない。とりあえずスマホに家計簿アプリを入れてみた。出ていく金額を可視化するのは悪くない。

倹約自体を楽しめないかぎりは、倹約に興味がないので、今から極端に倹約をするつもりはないけれど、ない袖は基本振れないので、てきとうなところに落ち着くだろう。どうしてもお金がなくなったら、支払いを延ばすかクルマを売るかしよう。

相変わらず毎日ギターを弾いている。少しは上達しているのかもしれない。ギター練はちょっとした毎日の救いだ。音楽療法みたいなものだ。

外はシトシト雨だ。たまには inactiveでいいよという空からのメッセージかもしれない。

今日もまた

日記を書いてみる。たぶん明日は書かない。

朝は5時起き。雨が降っていたが、軒先で自転車を整備する。レトルトカレーで朝飯。

8時前に家を出ると8時には会社に着いた。いつもなら上の階でギターを弾いているが、楽譜を書き写したかったので自席でネット画面を見る。8時半よりお仕事。夕方帰るころになってよくわからないところが出てきて、あれこれ調べていたがどうにもならず、いらいらしながら帰った。

要するに仮想マシンに対してホストマシンからポート変換をして接続したいのだが、うまくいかないという件で、自宅にも趣味でWEB用開発環境をセットしてあるから、帰ってきてからも結局11時近くまで黒画面と向き合っていたが、やはりわからず、とりあえずあきらめて自転車のタイヤを換えた。非常にもやもやするが、仮想環境の構築の仕組みそのもののバグか、自分のケアレスミスだろうから、気長に構えるしかない気がする。こういうのは焦ってもわからんのだ。今日だけでも大分つかれてしまい、また明日出社しなければならないなんて考えたくもない。

寒いのでウイスキーのお湯割りを飲んでいる。明日の朝はゴージャスな朝ごはんを食べてネカフェのカラオケルームでギター弾いてから会社に行こうと思う。

ばかやろ。

ただの日記ですが

起きたら11時だった。目覚ましが5時ごろなった時点で雨音が聞こえたので、自転車に乗ろうという気も失せてしまったのかもしれない。先日までと打って変わって涼しい1日となり、午前中はすやすやと寝ていたというわけだ。

食べるものがないので近くの大型ドラッグストアに行った。スパゲティなどを買い込む。帰ってきてスパゲティを食べる。食後にギターを弾く。髪を切りたいと思っていたので、ちょうど雨もやんでいるし自転車で家を出た。

床屋で少し待つ。なんだかんだ時間がかかり、帰宅したのは17時30分。また雨が降ってきた。自転車屋に電話をかけるものの、応答がない。タイヤを買おうと思っていたのだが。直接行ってしまったほうが早いと思い、クルマを出した。

自転車屋は開いており、店主が修理をしているところだった。雑誌などを見て待つ。作業が終わったところで店主(Sさん)のロングトークが始まり、店を出たのは20時30分とか。

2度目の帰宅後、牛丼屋でささっと夕飯を食べ、ドイツ語の聖書とソローの『日記』を少しずつ読む。ここのところ読書の大半はこの聖書に充てているが、なにせドイツ語の能力が低すぎて内容を理解できない。少しずつわかるようになるものと信じて読み進めているが、さてどうなるかはわからない。

その後、ひとりブルベ第1弾の「足利~郡山~足利」の計画でロードマップを確認していた。天気さえよければ次の週末に決行するつもりだ。

この後(生きてても)なんもいいことないじゃんと思うとひどくつまらなく思える。なんもいいことないかはもちろんわからないわけだけど、なんもいいことないんじゃないかとつい思ってしまう。かといってぼく自身はぼく自身を大きく変えるつもりはない。

巷にあふれる諸々の、人生のモデルケースなるものを参考にするとひどく味気ない気持ちになる。マイホームがどうの、結婚がどうの、貯蓄がどうの、キャリアがどうの、老後がどうの、etc, etc…。ひとつひとつの問題は大事かもしれないが、おれにあてはめないでくれよという気がする。勝手に自分にあてはめて疲れているのは自分かもしれないのだけれど、くだらない情報(というかアドバイス)を垂れ流さないでほしい。

とってつけたようなシアワセ感を演出するくらいなら、「なんもいいことないじゃん」と素直に思っていたほうが個人的にはしっくりくるので「なんもいいことないじゃん」と思っている。人生をあきらめているわけではない。挑戦もしている。

生きることはハッピーであったほうがいいと思っているが、生きることがハッピーであるという前提に立つととても苦しい。生きることは本来ハッピーではないのだ。だからこそハッピーであってほしいと思うのではないだろうか。

ルーズリーフの裏面

誰もおまえのことを気にかけないのは
寂しいことだと思うか
おまえは寂しいと感じるだろう
今はどうか知らないが
誰もおまえのことを気にかけない時が
いずれ訪れる
そのときおまえはもう何も感じることができない
寂しいと思いたいのに寂しいと思えない
おまえは今
ほんとうにひとりなのか
おまえは今
ほんとうに孤立しているのか
ばか言え
そんなことはありえない