ただの日記 Nov. 3rd

とてもねむい。ごぜんちゅうはぐずぐずとねていたというのに。

さくやはかなりしごとがながびいてしまい、しゅうでんのひとつまえでかえってきた。あめがふっていた。さけものめずにしゃわあだけなんとかあびてねた。

くじすぎにめがさめたが、そのごねたりおきたりしてべっどからはなれなかったため、おきあがったのはひるになってからだった。

しょくじをすませ、せんたくきをまわす。せんじつよるにせんたくきがこわれ、ゆかをぬらすというぷちとらぶるがあり、そのごしゅうりしてなおったものの、あまりおそくにせんたくするのはさけている。

きんようびにぷれぜんがあり、べつにそこまできあいをいれなくてもいいとはおもいつつ、すらいどをしあげたり、はっぴょうにつかうさんぷるこおどをなおしたりしているうちにじかんはとけた。こおどはいろいろともんだいがあり、うごくかたちにしてさあばあにのせられたのはにじゅうじもすぎるころだった。

こんびにへかいだし。さけとゆうはん。しょくごにだいどころからういすきいをだし、おいうちをかける。のまずにやってられるか。

ぎたあをひきそこねた。このまえひいたのはにちようだったかな。

さいきんのじぶんは、じぶんのしゅみさえよくわからなくなっているようだ。

ただの日記 Oct. 10th

久しぶりにMacBookから記事を書いている。なんと漢字も使ってしまっている。やれやれ。

昨夜ウイスキーを呑んでだいぶ酔ってしまったために、今日はぐずぐずと寝ていた。起きたのは12時を過ぎる頃で、父親から昼飯の誘いの電話が入ったからだった。用事がてら電車で近くを通るらしい。こちらはすぐ出かける。

雨、雨、台風だ。幸い風はそこまででもない。歩いて10分もしないうちにイタリア料理店に着く。出てきた知らないおじさんを父親と間違えるところだった。父はオレンジと赤の中間くらいの明るいジャケットを着て席に座っていた。酒はスキップするつもりだったが、父につられてスパークリングワインを注文した(いや、白状するとスパークリングワインをグラスで置いているところが少ないので、それがあるとつい頼んでしまうのである)。

家に着くと14時を過ぎていた。雨で自転車に乗れないが、来週レースに出るつもりなので、車輪をレース用に変えておかなくてはならない。本を読んでしばらくゆっくりした後、ちょいと着替えて(下手すると汚れるので)車輪を交換する。スプロケット(後輪のギア)は1組しかないので、これを工具で外してまたつけるのがたまにしかやらないと面倒なのだ。

休日だしギターの練習でもしようと駅前へ出かける。いつものように1時間半ギターを弾いて、たばこを1本すって帰ってきた。夕飯はスパゲティを茹でる。昼もスパゲティだったが、まあいい。

食後はうっかりMacBookを開いてしまい、趣味の分の(別に趣味でもないのだが、むしろ仕事のサプリメントなのだが)コーディングをしていた。夜も更けた。

ただの日記 Oct. 5th

いだいなるげつようびにかんぱい。

あさはろくじはんにおきた。ろくじにおきるつもりだったが、ねむかったのだ。めずらしくれとるとのたいかれえがあったので、りっちなあさごはんになった。

さて、はちじからしごと。いつもげつようびはとてもねむいのだが、きょうはそれほどでもなかった。ゆうがたもほどほどに切りあげることができ、これがぼくのしってるげつようびだろうか、とまでおもった。

たいきんご、すこしばかりぎたあをひく。きのうWhen the Stars Begin to FallはThe Seekersのきょくだとかいたが、このきょくのおりじなる(ふぉおくそんぐにおりじなるというがいねんをあてはめてよければ)The Weaversのきょくでした。おりじなるのほうがかしもふくめ、ものがなしいかんじがします。

にしゅうかんごにれえすにでることにしたので、じてんしゃのへいじつれんをはさむ。でんえんちょうふでさかみちをりらっくすしてはしる。いつもはしゅうかいにしゅうはするが、いっしゅうにおさめ、たばこきゅうけいもなし。

きたくご、れいとうちゃあはんをたべながら、かんびいるをのむ。

The Mahabharataを少しよみすすめて、ねよう。

ただの日記 Oct. 4th

よくかんがえると、はんとしほど、ほとんどしをかいていないし、さっきょくにいたってはいっきょくもつくっていない。これではくりえいたあはなのれないだろう。やれやれ。

あさはしちじにおきた。まえのばんにたべたげきかららあめんでおなかをこわした。てんきがあやしそうだったけど、かっぱをきてじてんしゃでくじにしゅっぱつ。いなぎほうめんへ。

たませんたあのうらのだんちでしゅうかいれんしゅう。まあまあちょうしはよかった。きたくするとにじになっていた。ごじかんもかけるれんしゅうだったのかはよくわからない。はんぶんいじょうがつなぎというか、いどうについやされている。

おそいひるめしをたべ、ねむいのをこらえてへやのそうじをする。そうじをおえるといよいよねむけにたえられなくなり、カーペットの上に枕だけおいてよこになる、とそのままいちじかんはわあぷした。としなのかわからないが、じてんしゃにのるとかなりつかれる。

えきまえにあるいていくげんきがなく、へやでへっどほんをしてぎたあをひく。When the Stars Begin to FallはThe Seekersのきょくなのだが、こえどがとてもかんたんでゆびひきにはよいかんじだ。

すぱげてぃをゆでて、ゆうはんとする。すぱげてぃは、やはりすばらしい。ぐがなくても、あいせる。

しょくごにたばこがすいたくなり、じゅうごふんあるいてきんじょではたぶんゆいいつはいざらのあるこんびにへいった。よるはいつもはいざらのまわりにひとがいっぱいいるのだが、きょうはすいていた。ゆっくりあめりかんすぴりっとをはいにする。

あしたしごとかあ。しんじゃうかもしれないとかじちょうぎみにおもうのだが、そこまでだったらたぶんしごとのほうがわるいはずだから、きっとしなない。

ただの日記 Sep. 28th

げつようびがきらいになってきた。

あさはごじはんきしょう。しゃわあをあびるためだ。さくばんつくったかれえをたべ、しゃわあをあびる。

はちじにしごとすたああと。ひるごろからあわただしくなり、いよいよゆうがたにはじぶんのしょりがおいつかなくなり、よるにはもんだいがはっせいした。

というわけでぎたあはひいてない。ゆうはんはれいしょくをれんじであたためた。うすいさけをひとびん。

23:23。げつようびがきらいなわけは、おこってほしくないことがぜんぶおこってくれるからだ。

ただの日記 Sep. 26th

あさはしちじはんまでねていた。すぱげてぃをゆで、こうちゃをのむ。

ちかごろばいく(えんじんのついているやつ)にのりたいきもちになり、めんきょをとることにした。

ひるからみぞのくちでようじなので、そのまえにふたこたまがわできょうしゅうじょにいきとうろくする。ぎのうきょうしゅうのよやくがとれるのはにかげつごとからしいが、ほかにいけるところもないのでしかたない。なんだかんだひるまえになっていて、いそいでのくちへ。

しってるひとさんにんとしらないひとさんにんとてらすでしょくじ。ちかごろではこのようなきかいもほとんどなかったので、れあといえる。

なんだかんだゆうがたになり、でんしゃでおやまだいまでもどった。むしょうにらあめんがたべたくなり、えききたがわのらあめんやにはいる。おいしかった。きたくとちゅうでらあめんがたべたくなったらここによろう。

すこしよこになったりしてるうちによもふけた。

なにをゆめみていきていればよいのだろう。ぼくはばいくにのることと、かいがいにいくことをあたまにおもいうかべている。

ただの日記 Sep. 23rd

あさはろくじにおきた。きょうのしごとははちじすたあと。しゅうのはじめのあさほどゆううつなものはない(すいようだけどね。

したくをおえてぱそこんをひらく。しごと。きょうはきゅうないらいがなく、きもちはひかくてきらく。

ひるはおとといつくったかれえをたべた。そとにでずにきゅうけいがおわる。

ごご。こおどをなおす。みいてぃんぐ、こおどをなおす。

ゆうがた。ぎたあがひけるかもしれない。ああ、やっぱりだめだ。おわらないしごと。。

ぎたあはひけなかった。よるはらあめんをゆでてたべた。

うすいびいる。そとはときおりあめで、かなりすずしい。

ただの日記 Sep. 22nd

そろそろれんきゅうもおわりだ。れんきゅうがあるだけありがたいとおもうべきなのだろうな。

あさはろくじきしょう。じてんしゃででかけるつもりだったからなるべくはやくしたくをすませ、はちじにはいえをでた。

あさのふたごたまがわはすいている。さくっとしょうてんがいをつうか。

こまえからはしをわたりのぼりとへ。ふちゅうかいどうでやのくちまでいき、いなぎへ。おねかんせんどうろをすこしだけはしってたまにゅうたうんどおりへしふと。

しばらくはしってやえんかいどうへうつり、はちおうじほうめんへ。このへんでこんびにきゅうけい。こおひいとかろりいけいぜりい。

たかおさんぐちでといれきゅうけいをいれ、いよいよのぼり。くるまはまあまあすくなく、それなりにはしれる。

いつもぬかれてばかりいるけど、きょうはさんよにんおいこした。まあまあちょうしがいいのかもしれない。

あうたあとっぷでくだり、こうしゅうかいどうをそれてつくいこほうめんへ。おもったよりあっぷだうんがありくるしんだが、なんとかはしもとほうめんへぬけていく。

はしもとえきのめのまえをとおり、しばらくせんろぞいにながす。

かえりもたまにゅうたうんどおりをつかい、てきとうにながしてはしる。ふみこむたいりょくはもうない。ながやまのふもとのこんびにでさんどいっちをたべ、たりないかろりいをおぎなう。

てんきがあやしく、いそぎめにかえる。いご、きゅうけいなし。きたく、じゅうごじにじゅうにふん。

しゃわあをあび、びいるをのんでひるね。じゅうくじすぎにさいきどう。

ひるねするとのうないのりずむがみだれるきがする。あまりしないほうがいいのかな。ここのところ、いつもねむいのでついひるねしてしまうのだが(そもそもひるではないのがいけないのか。

ただの日記 Sep. 15th

めずらしくさけをのんでいない。

あさはぐずぐずしていてまともにおきたのはしちじとかだったとおもう。れいしょくをあたため、ぼくにはめずらしくこめをたべた。

くじからわあく。ねむい。あさはとてもねむい。みずをのんだりすとれっちをしたりしてなんとかしのぐ。

ひる。ぎんこうにようじがあり、いえをでてばすていへ。ちょうどばすがくるところだった。

じゆうがおかでようじをすませ、またばすにのろうとおもっていたら、ばすがちょうどいってしまい、しかたなくでんしゃにのる。

おやまだいのえきからあるき、じたくちかくのこんびにでひるめしをかい、もどる。いそいでたべてしごとにもどる。

ゆうがた、はやめにあがることができた。ねむいのでよこになるといちじかんほどねてしまった。

あわててぎたあのれんしゅうをしたあと、つかれてうごけずにしばらくぼけっとし、それからゆうはんをかいにこんびにへいった。

いま、にじゅうさんじごじゅうさんぷんとかなんだけど、とてもねむい。

ただの日記 Sep. 12th

はなしあいてもいないのでこうしてにっきみたいなものをかくことにする。

あさはくじまえにおきた。ともだちふたりがさくやきてとまっていた。かれらもおきる。じゅうじごろさんにんでえきまえにいき、かいさん。

ぼくはびようしつにそのままいく。そとでかみをきるのはいちがついらいだ。かみは、みじかくしたくない、むしろのばしたいので、そとできるのはきがすすまなかったが、いよいよかみのりょうもふえて、あらもめだってきたので、せんしゅうよやくをいれた。ほどよくきりそろえてもらう。

ぎたあをもってきていたので、からおけによってみたが、ひるすぎからのえいぎょうだった。あめがはげしく、かえることにする。

かえりみち、いぜんからきになっていたいたりあんれすとらんにはいってみた。そとからみるよりなかはひろく、じゅうにじまえということもあり、すいていておちつく。らんちめにゅうからてきとうにえらび、ぱすたをたべる。

きたく。ぎたあをすこしひいたあと、ねむくなりよこになる。ねてしまう。

ろくじまえにさいきどう。せんたくきをまわし、くりいにんぐてんにいき、わいしゃつをうけとる。

でんしぼんをいっさつかい、どんどんよむ。にほんごがしみこんでくる。ちなみに、ほんは藤野千夜の『編集ども集まれ!』

くじはんくらいにこんびにへいき、ゆうはんをかう。おそめのゆうしょく。すきでおそくなっただけなので、きにならない。しごとでゆうはんがおそくなるのは、すきじゃない。

そろそろねよう。そとはかなりすずしく、くうらあなしでもすごせる。