ひとりSMの彼岸へ

さきほどまで超時空要塞マクロスの第27話「愛は流れる」を見ていた。最終決戦の出撃前、一条輝がリン・ミンメイに彼の気持ちに気づかなかったことを詫びられて、さわやかに「いいのさ」と返す場面が印象的だった。

人生とはひとりSMなのではないかと思うことがある。自分をいじめる自分と自分にいじめられる自分がいる。人生とは修行なのではないかと思うことがある。自分を鍛えようとする自分と自分に鍛えられる自分がいる。

自分は少なくとも二方向に向かう。当然のように自分はもつれて進んでいく。どちらの方向も否定するつもりはない。しかしなんであろう、わたしはこの二極端を行ったり来たりするシナリオはもう陳腐な気がしている。

自分をひとつにしたいというのはごく自然な欲求だと思う。そう思うことも多い。だからこそのひとりSM化もある。結局、自分というのはつねに多方向的で不自由な存在なのだ。

自分とはワガママな恋人みたいなものなのだろうか。それならば言ってやろう。「いいのさ。ぼくはきみのことが好きだけど、だからこそきみには羽ばたいてもらいたい」

自宅という刑務所

昨日から日没後の食事を控えるという習慣を自分に課した。そのようなわけで夜にとてもお腹が空き、外出先で喫茶店に避難をしてお茶をしている。

たまに食習慣を変えることがある。2014年の夏から秋にかけてベジタリアンをしていたし、昨年の春から秋にかけて糖質制限をしていた。食習慣を変えるのはダイエットのためではない。お肉抜きで過ごす、あるいは炭水化物抜きで過ごす、その先の景色を見てみたいだけである。

日没後の食事がなくてもやっていけるかもしれないし、やっていけないかもしれない。大事なことは自分自身とのかけあいである。

頭痛がする。借りているDVDを返し、自動車税を払って、帰ろう。

作家の精子

おかねにならない副業をはじめようと思った。ぼくは作家になりたいと思っている。現状ぼくは勤めびとであるため、毎週土曜の午後3時間程度を執筆にあてようと決心した。足利市内の某カフェを作業場所にしようと思っていたのだが、今月はじめの連休中に行ったのみで、その後一度も行けていない。今はなぜか自転車屋さんの待ち時間にスマホからこの記事を書いている。

一昨日アマゾンでワープロを注文した。カフェなどでの執筆の際になにか道具がほしかったのである。ぼくは以前からワープロにあこがれていた。昨今であればキングジムのポメラなどが丁度よさそうで、ポメラを購入しようかと思っていたのだが、ワープロがまだまだネットで出回っているのを見て、この際あこがれていたワープロを買おうと決めた。シャープの書院のコンパクトモデルである。ワープロが届くなり、ぼくはそれで大作を書こう。届かなくても大作を書こう。

ぼくは作家の精子である。作家の卵と書こうとしたのだが、ぼくは卵を産まないのだ。せいぜい作家の精子である。まぁ、肩書きにこだわっているわけではない。書きものをする生活がしたいという、ただそれだけのことである。店長はまだお昼を食べているようだ。

必ず勝たなきゃいけないのよ

タイトルはアニメ「トップをねらえ!」のノリコの台詞から借りた。

日曜日に自転車レースを控えており、気持ちを整理したいと思ったのである。モチベーションは大事だ。しかし、スポーツの魅力のひとつは人間の気持ちを簡単に裏切ってくれることにあると思う。

わたしは五流レーサーであり、めちゃくちゃ弱い。とても勝てるとは思わない。もしかしたらリタイヤかもしれない。だが、たまには言ってみたいのである。

必ず勝たなきゃいけないのよ

わたしは思う。こう言って負けていいのだ。この台詞は己の退路を断っている。そこが大事だ。なんというか、決意と結果は別物だということをわたしたちはよく忘れてしまうのではないだろうか。決意が甘いものだとは思わない。決意は簡素だ。

決意と結果が一致する。いいことである。決意と結果が一致しない。そのとき、あなたならどうする。

いやだねぇ。結果を受け入れる。決意のせいにしない。ひょっとすると待っているのは死ではなく恥であり、恥とは己の己に対する不満である。

必ず勝たなきゃいけないのよ

そう言って全力で負けたい。わたしは感情を超えたいのである。