ただの日記 Nov. 9th

寒くなった。台所の換気扇が回りっぱなしである。切らないと。

月曜日が大嫌いなのは仕事が終わらないからだが、今日は締め切りも少し先(といっても水曜だけど)だったので、早めに切り上げて帰ってきた。あまり月の前半に残っていると後半に身動きが取れなくなるのだ。(そもそも残らなくて済むのならそれが一番いい)

いざこうしてMacを開いて久々に投稿画面を開くと、特別書くこともない。自分の枯れ具合にはびっくりする。詩も歌も書けない。日記は駄文であり、気休めである。悲しいのだが、1日少しだけ本を読み進めるくらいしか出来ないのである。

朝は6時過ぎに起きた。起きたくはなかったが、土日にだいぶ寝たので、起きなさいということだろう。布団と防災マット(敷布団の代わり)をかたす。昨夜カレーを作ったので、それを温める。朝食。飲み物は紅茶。

以前は起きてから家を出るまでに2時間とかの猶予を設けて、徐々に精神を仕事に向けさせた(あるいはギリギリまで仕事のことを考えなかった)のだが、今は起きて1時間かそこいらで家を出なくてはいけない。苦痛この上ない。朝はいつも気分が悪いのだ。ほとんど一日中気分が悪いのだけれど、朝は特に悪い。なのに朝が一番バタバタしているとは皮肉もいいところだ。

自転車で事務所へ向かう。少し寒い。が、一応セーターも着ているので震えるほどではない。陸橋で担ぎを入れ、あとは飛ばし過ぎて事故を起こさないよう、ペースを抑えながら川の近くのあまり広くはない道を走り抜けていく。

いつも事務所の入り口で検温の数値が出ないと引き留められ、係の人を睨み付けていたのだが、今日はすんなりゲートをくぐることができた。エレベーターで上の階へ行き、トイレに寄ってから(仕事よりトイレが大事だ)、席に着く。パソコンを出して開く。

仕事、仕事、仕事。仕事について書こうとは思わない。(それが如何なるものであれ、好きかと言われると困る。)

昼休みに少しだけジュネの「花のノートルダム」のペーパーバックを読み進める。

帰宅後、少し横になってからギターを弾いた。日に日に下手になっている気がする。平日にギターが弾けるなんてラッキーだ。

酒を控えて、コーヒーを呑みながら音楽を聴いていた。

なぜ日記を書くのかというと、明日全く違う1日になったときに、じゃあ昨日はどのような幻の中に自分がいたのかということを思い出すために書いている。いや、単に明日が怖いので今日を引き留めておこうと書いている。

今日と握手をしたこともなければ、明日に手招きされたこともない。日々とは、そういうものだ。

ただの日記 Nov. 3rd

とてもねむい。ごぜんちゅうはぐずぐずとねていたというのに。

さくやはかなりしごとがながびいてしまい、しゅうでんのひとつまえでかえってきた。あめがふっていた。さけものめずにしゃわあだけなんとかあびてねた。

くじすぎにめがさめたが、そのごねたりおきたりしてべっどからはなれなかったため、おきあがったのはひるになってからだった。

しょくじをすませ、せんたくきをまわす。せんじつよるにせんたくきがこわれ、ゆかをぬらすというぷちとらぶるがあり、そのごしゅうりしてなおったものの、あまりおそくにせんたくするのはさけている。

きんようびにぷれぜんがあり、べつにそこまできあいをいれなくてもいいとはおもいつつ、すらいどをしあげたり、はっぴょうにつかうさんぷるこおどをなおしたりしているうちにじかんはとけた。こおどはいろいろともんだいがあり、うごくかたちにしてさあばあにのせられたのはにじゅうじもすぎるころだった。

こんびにへかいだし。さけとゆうはん。しょくごにだいどころからういすきいをだし、おいうちをかける。のまずにやってられるか。

ぎたあをひきそこねた。このまえひいたのはにちようだったかな。

さいきんのじぶんは、じぶんのしゅみさえよくわからなくなっているようだ。

ただの日記 Oct. 10th

久しぶりにMacBookから記事を書いている。なんと漢字も使ってしまっている。やれやれ。

昨夜ウイスキーを呑んでだいぶ酔ってしまったために、今日はぐずぐずと寝ていた。起きたのは12時を過ぎる頃で、父親から昼飯の誘いの電話が入ったからだった。用事がてら電車で近くを通るらしい。こちらはすぐ出かける。

雨、雨、台風だ。幸い風はそこまででもない。歩いて10分もしないうちにイタリア料理店に着く。出てきた知らないおじさんを父親と間違えるところだった。父はオレンジと赤の中間くらいの明るいジャケットを着て席に座っていた。酒はスキップするつもりだったが、父につられてスパークリングワインを注文した(いや、白状するとスパークリングワインをグラスで置いているところが少ないので、それがあるとつい頼んでしまうのである)。

家に着くと14時を過ぎていた。雨で自転車に乗れないが、来週レースに出るつもりなので、車輪をレース用に変えておかなくてはならない。本を読んでしばらくゆっくりした後、ちょいと着替えて(下手すると汚れるので)車輪を交換する。スプロケット(後輪のギア)は1組しかないので、これを工具で外してまたつけるのがたまにしかやらないと面倒なのだ。

休日だしギターの練習でもしようと駅前へ出かける。いつものように1時間半ギターを弾いて、たばこを1本すって帰ってきた。夕飯はスパゲティを茹でる。昼もスパゲティだったが、まあいい。

食後はうっかりMacBookを開いてしまい、趣味の分の(別に趣味でもないのだが、むしろ仕事のサプリメントなのだが)コーディングをしていた。夜も更けた。

ただの日記 Oct. 5th

いだいなるげつようびにかんぱい。

あさはろくじはんにおきた。ろくじにおきるつもりだったが、ねむかったのだ。めずらしくれとるとのたいかれえがあったので、りっちなあさごはんになった。

さて、はちじからしごと。いつもげつようびはとてもねむいのだが、きょうはそれほどでもなかった。ゆうがたもほどほどに切りあげることができ、これがぼくのしってるげつようびだろうか、とまでおもった。

たいきんご、すこしばかりぎたあをひく。きのうWhen the Stars Begin to FallはThe Seekersのきょくだとかいたが、このきょくのおりじなる(ふぉおくそんぐにおりじなるというがいねんをあてはめてよければ)The Weaversのきょくでした。おりじなるのほうがかしもふくめ、ものがなしいかんじがします。

にしゅうかんごにれえすにでることにしたので、じてんしゃのへいじつれんをはさむ。でんえんちょうふでさかみちをりらっくすしてはしる。いつもはしゅうかいにしゅうはするが、いっしゅうにおさめ、たばこきゅうけいもなし。

きたくご、れいとうちゃあはんをたべながら、かんびいるをのむ。

The Mahabharataを少しよみすすめて、ねよう。

ただの日記 Oct. 4th

よくかんがえると、はんとしほど、ほとんどしをかいていないし、さっきょくにいたってはいっきょくもつくっていない。これではくりえいたあはなのれないだろう。やれやれ。

あさはしちじにおきた。まえのばんにたべたげきかららあめんでおなかをこわした。てんきがあやしそうだったけど、かっぱをきてじてんしゃでくじにしゅっぱつ。いなぎほうめんへ。

たませんたあのうらのだんちでしゅうかいれんしゅう。まあまあちょうしはよかった。きたくするとにじになっていた。ごじかんもかけるれんしゅうだったのかはよくわからない。はんぶんいじょうがつなぎというか、いどうについやされている。

おそいひるめしをたべ、ねむいのをこらえてへやのそうじをする。そうじをおえるといよいよねむけにたえられなくなり、カーペットの上に枕だけおいてよこになる、とそのままいちじかんはわあぷした。としなのかわからないが、じてんしゃにのるとかなりつかれる。

えきまえにあるいていくげんきがなく、へやでへっどほんをしてぎたあをひく。When the Stars Begin to FallはThe Seekersのきょくなのだが、こえどがとてもかんたんでゆびひきにはよいかんじだ。

すぱげてぃをゆでて、ゆうはんとする。すぱげてぃは、やはりすばらしい。ぐがなくても、あいせる。

しょくごにたばこがすいたくなり、じゅうごふんあるいてきんじょではたぶんゆいいつはいざらのあるこんびにへいった。よるはいつもはいざらのまわりにひとがいっぱいいるのだが、きょうはすいていた。ゆっくりあめりかんすぴりっとをはいにする。

あしたしごとかあ。しんじゃうかもしれないとかじちょうぎみにおもうのだが、そこまでだったらたぶんしごとのほうがわるいはずだから、きっとしなない。

ただの日記 Sep. 28th

げつようびがきらいになってきた。

あさはごじはんきしょう。しゃわあをあびるためだ。さくばんつくったかれえをたべ、しゃわあをあびる。

はちじにしごとすたああと。ひるごろからあわただしくなり、いよいよゆうがたにはじぶんのしょりがおいつかなくなり、よるにはもんだいがはっせいした。

というわけでぎたあはひいてない。ゆうはんはれいしょくをれんじであたためた。うすいさけをひとびん。

23:23。げつようびがきらいなわけは、おこってほしくないことがぜんぶおこってくれるからだ。

ただの日記 Sep. 26th

あさはしちじはんまでねていた。すぱげてぃをゆで、こうちゃをのむ。

ちかごろばいく(えんじんのついているやつ)にのりたいきもちになり、めんきょをとることにした。

ひるからみぞのくちでようじなので、そのまえにふたこたまがわできょうしゅうじょにいきとうろくする。ぎのうきょうしゅうのよやくがとれるのはにかげつごとからしいが、ほかにいけるところもないのでしかたない。なんだかんだひるまえになっていて、いそいでのくちへ。

しってるひとさんにんとしらないひとさんにんとてらすでしょくじ。ちかごろではこのようなきかいもほとんどなかったので、れあといえる。

なんだかんだゆうがたになり、でんしゃでおやまだいまでもどった。むしょうにらあめんがたべたくなり、えききたがわのらあめんやにはいる。おいしかった。きたくとちゅうでらあめんがたべたくなったらここによろう。

すこしよこになったりしてるうちによもふけた。

なにをゆめみていきていればよいのだろう。ぼくはばいくにのることと、かいがいにいくことをあたまにおもいうかべている。

ただの日記 Sep. 23rd

あさはろくじにおきた。きょうのしごとははちじすたあと。しゅうのはじめのあさほどゆううつなものはない(すいようだけどね。

したくをおえてぱそこんをひらく。しごと。きょうはきゅうないらいがなく、きもちはひかくてきらく。

ひるはおとといつくったかれえをたべた。そとにでずにきゅうけいがおわる。

ごご。こおどをなおす。みいてぃんぐ、こおどをなおす。

ゆうがた。ぎたあがひけるかもしれない。ああ、やっぱりだめだ。おわらないしごと。。

ぎたあはひけなかった。よるはらあめんをゆでてたべた。

うすいびいる。そとはときおりあめで、かなりすずしい。

ただの日記 Sep. 22nd

そろそろれんきゅうもおわりだ。れんきゅうがあるだけありがたいとおもうべきなのだろうな。

あさはろくじきしょう。じてんしゃででかけるつもりだったからなるべくはやくしたくをすませ、はちじにはいえをでた。

あさのふたごたまがわはすいている。さくっとしょうてんがいをつうか。

こまえからはしをわたりのぼりとへ。ふちゅうかいどうでやのくちまでいき、いなぎへ。おねかんせんどうろをすこしだけはしってたまにゅうたうんどおりへしふと。

しばらくはしってやえんかいどうへうつり、はちおうじほうめんへ。このへんでこんびにきゅうけい。こおひいとかろりいけいぜりい。

たかおさんぐちでといれきゅうけいをいれ、いよいよのぼり。くるまはまあまあすくなく、それなりにはしれる。

いつもぬかれてばかりいるけど、きょうはさんよにんおいこした。まあまあちょうしがいいのかもしれない。

あうたあとっぷでくだり、こうしゅうかいどうをそれてつくいこほうめんへ。おもったよりあっぷだうんがありくるしんだが、なんとかはしもとほうめんへぬけていく。

はしもとえきのめのまえをとおり、しばらくせんろぞいにながす。

かえりもたまにゅうたうんどおりをつかい、てきとうにながしてはしる。ふみこむたいりょくはもうない。ながやまのふもとのこんびにでさんどいっちをたべ、たりないかろりいをおぎなう。

てんきがあやしく、いそぎめにかえる。いご、きゅうけいなし。きたく、じゅうごじにじゅうにふん。

しゃわあをあび、びいるをのんでひるね。じゅうくじすぎにさいきどう。

ひるねするとのうないのりずむがみだれるきがする。あまりしないほうがいいのかな。ここのところ、いつもねむいのでついひるねしてしまうのだが(そもそもひるではないのがいけないのか。

ただの日記 Sep. 15th

めずらしくさけをのんでいない。

あさはぐずぐずしていてまともにおきたのはしちじとかだったとおもう。れいしょくをあたため、ぼくにはめずらしくこめをたべた。

くじからわあく。ねむい。あさはとてもねむい。みずをのんだりすとれっちをしたりしてなんとかしのぐ。

ひる。ぎんこうにようじがあり、いえをでてばすていへ。ちょうどばすがくるところだった。

じゆうがおかでようじをすませ、またばすにのろうとおもっていたら、ばすがちょうどいってしまい、しかたなくでんしゃにのる。

おやまだいのえきからあるき、じたくちかくのこんびにでひるめしをかい、もどる。いそいでたべてしごとにもどる。

ゆうがた、はやめにあがることができた。ねむいのでよこになるといちじかんほどねてしまった。

あわててぎたあのれんしゅうをしたあと、つかれてうごけずにしばらくぼけっとし、それからゆうはんをかいにこんびにへいった。

いま、にじゅうさんじごじゅうさんぷんとかなんだけど、とてもねむい。