ロードレース・イブ

明日は伊豆修善寺にある日本サイクルスポーツセンターでレースがある。というわけで今は三島のはずれのホテルにいる。寝巻き用の短パンを忘れてきたことに気づいた。

レース前に記事を投稿したりツイートすることはあっても、レース後に投稿をすることは少ない。なぜならレース結果がへなへなだったからだ。勝負の世界は常にシビアだ。明日はどうなるだろう。イメージトレーニングはやめておこう。

そういえば先週箱根に来たから、同じ方面に2週連続で来ていることになる。われながらどうかしている。移動の多い生活。

今日はもう夕飯を食べて明日の買い出しをして寝るだろう。ステファンヌ・マラルメの詩集は家に置いてきてしまっている。ばたばたしているとはいえ、静かな夜。

午前中は自転車を整備したあと、10時に写真屋さんに行き、パスポート用写真を撮った。月曜日にパスポート申請に行く予定だ。秋は海外。秋は海外だ。わたしは社会人だろうが(とらわれの社畜の身分だろうが)すずしい顔をして海外に行けることをわたし自身に証明したい。

自宅に戻ってから埃っぽい部屋に掃除機をかけ、荷物をまとめ、午後2時半に三島に向けて出発したのだった。

わたしは優秀なレーサーではない。わたしの成績は優秀ではない。なのになぜきみはいくのか。わからない。また来てしまった。前回のレースと今回のレースとの間に絶対的な連関などないはずだ。だけどまた来てしまった。わたしはまた負けるのだろうか。負けるという明確な結果さえ得られるのだろうか。

わたしは一軒の家も建てることのないまま、しかし日々レンガを積み続けるような建築家でありたいのだ。

第3新東京市観光

「どうしたらもっとリスナーが増えると思う?」
「身近なひとに宣伝したら」
「身近なひとなんていないよ」

昨日のまとめを記す。子ども会のリーダー仲間2人と箱根に行ったのだった。目的は箱根湯本駅1階にある「えゔぁ屋」である。

ぼくは5時すぎに起き、6時前に赤いクルマに乗ってまずは川崎に向けて発った。首都高は混んでおり、8時の待ち合わせが遅れに遅れ、9時ごろ友人2人をピックアップした。

東名川崎インターから再び高速にイン。渋滞である。だべりながらゆっくり進んだ。クルマの休日とはこんなものなのかもしれない。結局厚木までほぼ渋滞だった。

小田原厚木道路は通常トラフィックで快走。気持ち遅れを取り戻し小田原西でおりる。湯本はすぐだ。えゔぁ屋を見かけるもクルマを停められず、そのまま1号線を上がる。お店は見えなくなり、完全にクライミングコースとなった。

旧道は自転車で2度上っているが、1号線は初めてだった。それなりにきつい。クルマなのでエンジンがうなるだけで済むが。3人乗りプラス山道で、ガソリンメーターは目に見えて減っていった。標高をあげるにつれ、天気はあやしくなり、霧が出てきた。1号線最高標高地点をパスし、芦ノ湖へ。

昨年自転車で走った勝手知ったる道だ。芦ノ湖は風で波が立っていた。海のような風情。さらに上り、道の駅箱根峠でクルマを停めた。12時すぎ。ランチタイムとする。エヴァのキャラが描いてあるUCCの缶コーヒーをあてにしていたのだが、見当たらなかった。霧のために芦ノ湖は途切れ途切れにしか臨めなかった。だが、霧の箱根も悪くはない。

ぼくの好きな旧道で峠をぐいぐい下り、臨時観光駐車場にクルマを停める。駅前に3人で凱旋。えゔぁ屋で買い物をする。Tシャツとボトルとクリアファイルとメモ帳とお菓子を買った。弐号機仕様のクリアボトルが気に入っている。英語でアスカのせりふが書いてある。萌えだ。

駅前をぷらぷらして帰路へ。やはり東名が混んでいる。16時すぎに友達1人を南加瀬で降ろし、中野島の友達1人と中野島で早夕飯を食べた。19時ごろ、ひとりになったぼくら足利の自宅へ出発した。狛江でガソリンを入れる。

20号線で高井戸まで行き、そこから環八で練馬へ。いい感じに渋滞。外環に乗るつもりが関越に乗ってしまい、気持ち泣きべそだった。気を取り直し、鶴ヶ島ジャンクションから久喜白岡へ抜けることにする。

空いていたので前方をにらみながら走り、東北道に合流し、やっと帰れそうだと思う。羽生のパーキングで休憩。自宅に着いたのは22時にならないくらいだった。

たいへんだったが、エヴァグッズを買えたのは、個人的に意味のあることだった。

なつやすみ後半戦総括

総括しよう。

いまは佐野のファミリーレストランでこの記事を書いている。本当は結城まで行こうかと思っていたが、クルマもぼくもガソリン不足だった。クルマもぼくも燃費が悪いのだ。

明日から仕事である。

なつやすみ後半戦は15日午後から始まった。お昼に職場の仲間とラーメンを食べたあと、帰宅した。翌日から川崎の子ども会の宿泊研修で八ヶ岳に2泊3日するため、荷物を準備し、すこしばかりギターにさわったあと、3時ごろ電車で足利を発った。

その夜は地元の後輩の家に泊まり、なぜか彼とぼくともう1人のシニアリーダー(大学生相当以上の子ども会指導者)が集まり、八ヶ岳前夜祭となった。寝たのは11時。

翌日、6時半に起床し、八ヶ岳モードに気持ちを切り替えていく。7時20分に近くでピックアップしてもらい、登戸の集合場所へ。その後菅の集合場所でバスを乗り換える。再出発。

言い忘れていたが、ぼくの仕事は参加者(小学4, 5, 6年生の子どもリーダー研修生)のサポートである。

中央高速に乗り、バスレク(バス内で行う手遊びなどのレクリエーション)が始まった。ぼくも1つ担当した。談合坂で休憩したあと、子どもたちがつかれ気味だったので、レクをやめて休みながら八ヶ岳へ向かった。

八ヶ岳少年自然の家に着いたのは11時くらいだったかと思う。雨が降っており、室内でお弁当を食べた。その後、お隣の宮前区と合同で(ちなみにぼくは多摩区だ)入所式に参加。

その後、夕方まで施設内でキャンプファイアの練習をしたりして待機。

夕飯はバーベキューなので、火おこしに従事していた。雨がとんでもない勢いで吹きつけており、なかなか難儀だった。屋根はあるのでびしょ濡れにはならずに済んだが。

星座観察の時間は、リーダーは抜け出して散歩をした。入浴後、子どもたちは消灯。リーダーも打ち合わせ後、解散となった。ぼくは寝袋で寝た。

2日目(17日)。午前中は観音平からの下山ハイキング。行きはバスで上った。下山といえどもあなどれず、子どもに遅れそうになった。途中、緑色の富士山を見ることができた。すっかり仕事のことを忘れていた。

施設まで戻ったあと、バーベキュー場でお弁当を食べた。このころからぼくは頭痛を覚え、結局部屋で休むことになった。5時に目が覚め、そのまま夕食へ。

「ごはんは、大盛りでいい?」
「大盛りでお願いします」

ぼくは食べることにより活力を取り戻し、キャンプファイアでは火のお守りをしたり、ダンスを踊ったりして忙しく過ごした。夜になりなんとなくお泊りテンションになってきたが、お風呂に2回入ったあとおとなしく寝た。

3日目(18日)。午前中は主に施設のそうじである。子どもたちにそうじをしてもらうのはたいへんだが、しょうがない、お互いやるしかない。ぼくとて、そうじ愛好者ではない。

子どもたちがお土産を買っている間、ぼけっと座っていた。昼食を食堂で食べ、バスに乗り込む。車内ではおそらく、映画「シング」が流されていたが、寝ていたので要所要所しか見ていない。土曜日ということもあり、それなりに高速は混んでいた。

5時ごろ登戸から少し戻り、中野島に着いた。ぼくはそのまま電車に乗り、足利に戻った。

昨日19日は、サイクリングクラブの例会で、作原から金原へ上った。とんでもないハードスケジュールである。

本日20日は、特に記すこともない。部屋をそうじし、銀行で用事を済ませた。東京都美術館で藤田嗣治の特別展を見たいのだが、行けても来週だろう。

邪念のふりはらわれたなつやすみだったと思いたい。ぼくは同時にぼく自身がよくわからなくなった。

What is Life?

なつやすみ前半戦総括

いまは結城のファミリーレストランにいる。わたしはたまに足利から結城のこのファミレスまでドライブして夕飯を食べるのを趣味としている。今日はお盆のせいか道路が混んでいた。

総括しよう。

金曜日。仕事。のち友達の呑みに出かけ、就寝は2時となった。

土曜日。朝6時に目覚ましが鳴る。頭痛。とりあえず起きてみるものの、頭痛のため、活動を断念。9時に再起床。10時の電車で足利を発つ。川崎は溝の口にて子ども会の行事の手伝いに従事。16時解散。蒲田の父親のアパートへ。

日曜日。父親のアパートで目覚める。お昼に家族4人がそろい、イタリア料理店でランチとなった。母親からメロンをもらう。昼過ぎに解散。蒲田から足利へ戻る。

月曜日。お昼に目覚める。洗濯、そうじなど。夕方少し自転車に乗る。雨が降ったり止んだりした。プチGが台所からお風呂場に拠点を移動したようだが、殲滅には至らず。台所での作業に積極的になれない。

こんな感じだ。家事で疲れた。プチGのせいだ。読書は蒲田で購買した『上田敏全訳詩集』(岩波文庫)を読んでいる。高校のころ、ボードレールを読んで詩にハマりだしたわたしにとって、この本は懐かしい感じがした。あまり現実的な詩は収録されていないが、そこがいいのだろう。理想を追うなら丁寧に育てなくてはなるまい。

日光へ行こうⅡ

ぼくは再び日光へ向かった。2日前のことである。今度は輪行袋も持たず、いつものトレーニングと同じ格好・荷物で行った。全て自走の計画で、トラブル時以外逃げ道はない。

4時半に出発。サイクリングロードは早朝散歩をする方々で賑わっていることがわかったので、空いている車道で桐生へ。6時半過ぎに大間々のコンビニにたどり着く。今回は水沼から国道122号線を逸れ、県道62号線で沼田方面へ向かう。赤城山の裾野を東から北へ抜けていく感じになる。直線的な上りが容赦なく続く。道は整備されているが、休憩できるポイントはほとんどなく、山の中を奥へ奥へと入っていく。

長いトンネルに突入。フロントライトの電池が少なくなっているようだ。次のコンビニで電池を買わなくては。トンネルを抜けると、また上りが始まり、足にくる。ふつうに峠道となる。なかなか頂上に着かない。沼田市に入って頂上通過。今度はぐんぐん下る。

せっかく標高をかせいだのになーと思っていると、根利川沿いに道は進み、薗原ダムに着いた。このあたりからぼくの補給は切れ、暑いなか気合いだけで進んだ。しばらくして沼田から来る国道120号線と合流。老神温泉を通過。

コンビニを発見したので避難。9時を回ったところ。2度目の朝食を摂る。飲み物もペット2本購入。ライトの電池も入れる。金精峠まで40キロとスマホでは出た。

気合いを入れて再出発。ゆっくり標高をかせぐ。バイクは多いが自転車は見ない。まだ傾斜がそれほどでもないので、ペースは早め。尾瀬方面への分岐点をスルーし、いよいよ丸沼高原を目指す。

とうもろこしの直売所を見かけなくなると、いよいよ本格的な上りとなった。本当に今日は上りばかりだ。インナーローからギヤを落とせない。日照りはまぶしいが、風は涼しく、湿気も我慢できる範囲。なんとなくジロでも走っている気分になり、悩みも少なく高みを目指した。

丸沼高原のドライブインで休憩。峠まで12キロ。時刻は11時10分。お茶を買う。スキー場のあるところまで人力で来るなんて、ちょっとどうかしている。そしてまだ上るとは。。

いよいよ高原の雰囲気濃厚で、空気は薄く、空が近い。涼しい。峠は近い。そう思いつつペダルを回す。写真くらい撮っておけばといつも思う。でもいつも撮らずじまいだ。

丸沼を通過後、しばらくして菅沼が視界に入る。かなりいい景色に違いないが、感覚が麻痺しているため、足を止めずそのまま金精峠へ最後の上りに挑んだ。ラスト2キロ。

前回は気になってはいたけど、来れなかった金精峠。これを越えられれば未練はない。日光側から下ってくるサイクリストをちらほら見かけた。彼らは上って日光だが、ぼくは下って日光へ行くのだ。

ついに金精峠のトンネルに着いた。感無量。トンネルを抜けると奥日光だ。ぼくは「セイヤっ」と勝利宣言をした。下りに入る。地面に吸い寄せられるようにスピードが上がる。奥日光を過ぎ、そのまま戦場ヶ原へ。

12時半。ぼくは戦場ヶ原の食堂でカレーを食べ、アイスコーヒーを吞んだ。

日光へ行こうI

「今日もクリエイティブなことがなにひとつできやしない」

「クリエイティブな行為とはどのような行為か」

昨日は早朝から自転車にまたがり、日光へ行った。日光に行きたいと思っていたから。それは小学生時代の修学旅行の美化された思い出を掘り起こしたいという思いからだったのかもしれないが、本当のところはよくわからない。

渡良瀬川沿いに隣町の桐生まで走り、大間々から上り始めた。渡良瀬川沿いの旧道を行く。川は朝日のなかでもやが立っており、いい雰囲気だった。わりといいペースで草木ダムに着いた。背負ってきたリュックが背中で暴れ、うっとうしい。

国道122号線は上り基調。足をあまり使わないようにしながらゆっくり標高をあげる。足尾を過ぎる。しばらく行くとコンビニを発見。コンビニなんてないと思っていたから吸い寄せられた。おにぎりとお茶を買い、休憩する。時計を見るとなんとまだ9時10分。家を出たのが4時30分だから、4時間半は走っているわけだが、ちょっと意外だった。

再出発し、細尾トンネルを目指す。トンネルは3キロくらいあり、満足に歩道もないのでヒヤヒヤする。下り基調なのが救いだった。まぁまぁのスピードは出る。トンネルを抜けてさらに下っていくと国道120号線にぶつかり、左折。いろは坂へ向かう。

第二いろは坂にさしかかる。初のいろは坂。どんなものだろうか。二車線あるのでそれなりに走りやすい。途中フル装備のマウンテンバイクに乗った白人女性から「ガンバッテ」と励まされ、俄然ぼくの気持ちはまっすぐとなり、この由緒ある上りに挑み始めた。

ボトルの水も切れたが、ノンストップで快走し、明智平をスルーして中禅寺湖に着いた。湖畔のお店でお昼休憩とする。11時を過ぎたところ。岸に打ち寄せる波の音ばかり聞いていた。

輪行袋を持って来ていたから、もう帰ろうかと思っていたが、店主のおじさんから、「まだ来たばっかりじゃない。戦場ヶ原でも行って来たら?」と言われ、戦場ヶ原ってなんなんだと思いつつまた走り始めた。

中禅寺湖から更に道は上っていく。足もきつくなってきた。戦場ヶ原手前の売店でパンを購入。戦場ヶ原の観光方法も知らないぼくは、そのまま戦場ヶ原をスルーし、奥日光で池を見ながらぼけーっとしていた。「今日はもう帰ろう」と思った。

13時を過ぎた。道を上ってくるサイクリストも見かけつつ、ぼくは下り始めた。華厳の滝は寄らなかった。もう小学生の思い出などどうでもよかった。ぼくはクルマと一緒にいろは坂を下り、そのままペダルを踏み回し続けて今市まで走り、東武線の下今市駅で自転車を袋に押し込んだ。

電車はしばらく待つと来た。電車はすごいなーなどと思いながら、乗客もまばらだったので、ついぼくはウトウトした。

わたしがしたことよりもわたしがしなかったこと

「ぼくは今日おサケを呑んだかもしれない。でもぼくは今日たばこを吸っていなければ、オナニーもしていないのだ。選択とはつまりそういうことだ。」

いつのまにかつらい日々に突入していた。つらい日々とは、明日が見えないのに明日が大して今日と変わらない日々のことを指す。

午後からずっと頭が痛く、帰宅するなり着替えながら横になるとそのまま寝てしまい、起きたら21時前だった。朝になっていなかっただけよしとする。持ち合わせの現金が8円しかなかったため、コンビニへ行ってお金をおろし、あれこれ食べ物を買った。

そんなわけで今日は自転車に乗っていなければギターも弾いていない。不機嫌になりたいところをぐっとこらえてわたしは思う。こんな暑い日には死ななかっただけ立派だ。家で寝て英気を養っているだけ偉大だ。

職場は新しいことをやろうとして悲鳴をあげているのかもしれない。それはわたしもそうだ。それ以前にわたしは職場に行き、自席に座っているだけで気持ちがすりへる。わたしは一瞬思う。「仕事とはこころの体力勝負なのだろうか」

失いたくないのは生活か。失いたくなのは信用か。失いたくないのは心の平穏か。

「あなたが必要としているものをわたしは必要としていない。わたしはあなたが必要としていないものを必要としているのだ。」

卒タリアン

今朝、自炊をしたのだが、とんでもないものができてしまって、ショックを受けた。食材もいちおう使い切ったので、早すぎる気もするが卒タリアンとする。

今夜は1日に呑む量の2倍のお酒を呑んで、だいぶやられ気味だ。

夕方に帰宅後、ベッドに横になったら、そのまま寝てしまい、9時前に目覚めてコンビニへ行き、酒とつまみとパンを買った。自転車に乗っていなければギターの練習もしていない。「自分はクズか」と思いつつも呑み始めた。

2回目の「ブレードランナー」を見ていた。1度目は疑問も多かったが、2度目はわりとすっきりとした後味だった。たぶんこの映画は視聴者を迷わせることを目的としているわけではない。リドレー・スコット監督は視聴者を楽しませようとしている。その方法が独自なだけだと思う。

梅雨も深まってきた。梅雨も夏も正直あまり好きではない。だが、この時期の夜は好きだ。

「おまえだけはおれのことをわかってくれている」

Super Hero

超絶疲労。言ってみたかった。

ネットカフェでたばこを吸っている。たばこを吸った罪の埋め合わせに記事を書いている。

今日は朝から台所で果物ナイフを握り、マカロニスープを作った。あまりおいしくなかったので、もうやりたくないのだが、まだ食材があるので明日もなにかしら作る予定だ。ぼくには料理のセンスがまるでない。

ネットカフェに来たのはエッチな動画を見るためだったのだが、ぼくの見たい作品はどのサイトを見てもないか、もしくは視聴できなかった。どうやらエッチな動画の好みも平均から外れてしまったらしい。

去年の今ごろは無駄な不安をだいぶ抱えていた気がする。今のぼくは無駄なあきらめを抱えている。

「ひとのせいにすんなよ」とよく自分に言い聞かせている。だが、なんでもかんでも自分のせいにすることもない。

クリーニング店の帰りに見た夕日がきれいだった。リアルが好きだ。リアルな夕日が大好きだ。

3年ぶりのスーパー

This article was originally written on June 18th.

3年ぶりにスーパーマーケットに行った。もちろん、食料品を買うためだ。

  • ペンネ_2袋
  • バナナ_2袋
  • 玉ねぎ_1個
  • じゃがいも_1袋
  • 人参_1本
  • トマト_4個

を購買した。わたしはこれからしばらく自宅ではベジタリアンになるつもりだ。少しは料理もしようと思う。ちなみに今日の夕飯は

  • バナナ_3本
  • トマト_2個
  • コーヒー

だった。明日の朝は久しぶりにマカロニスープを作る予定だ。わたしが4年と少し前に足利に来て働き始めたとき、家ではマカロニスープばかり食べていた。たまに牛丼屋に行って牛丼を食べるととてもリッチな気分がした。

あのころに戻りたいとは思わない。わたしは次に行きたいと思っている。わたしはあきらめたくないと思っている。あきらめた結果あきらめられた明日と顔を合わせたくない、そう思う。

とはいえ、明日はわたしの迷いなど知らぬまま、ひょっこりやってくるだろう。わたしはわたしのことを見捨ててやりたい。