死なないための考え方

やはり過酷な夜だ。ほんのりあたためた電気カーペットの上にちぢこまっている。目の前にはRITTERのギターケースが横たわっている。明日の朝ネカフェのカラオケルームで練習しようかと思っている。断られなければだが。

アラビア語の勉強をはじめた。文字の連結が難しく、なんのこっちゃという感じだが、いずれ慣れると信じる。コーランを読んでみたいという理由だけで語学入門書を手に取ったが、アラビア語で旅行できる国もたくさんあり、勉強するメリットはいろいろあると思う。これまで、ぼくの学んできた外国語は基本的にラテンアルファベットで表記されていたが、アラビア語でついにラテンアルファベットを脱することとなった。ちなみに、これまでぼくが挫折した外国語はラテン語とロシア語であり、続いている外国語は英語、フランス語、ドイツ語となる。

月曜日(祝日)は妹の結婚式が千葉県東金市で開かれた。総勢40名ほど。ぼくは岐阜からやってきた祖母の送り迎えを東京駅まで往復することとなったが、前後の日に家族で東金に泊まったので、わりと余裕のある日程だった。

さて、すこし話は戻るが、12日土曜日の早朝、ぼくは川崎の子ども会の行事でスタッフとして参加するため、結婚式の荷物も含めて車に積み込み、一路川崎は麻生区へ発った。その日は施設に1泊してイベント2日目を迎え、昼過ぎまで参加したあと父親から電話が入り、行事を早退して東京駅に向かった。首都高速で道を間違え、なぜか錦糸町まで行ってしまったが、なんとか一般道で東京駅まで戻り、地下駐車場にクルマを停めた。岐阜の実家まで祖母を迎えに行った父が祖母とともに東京駅に降り立ち、ぼくは2人を自分の赤い車に乗せ、妹の住む東金へ安全運転で向かったのだった。ちなみにぼくは東金に行くのははじめてだ。

東金で妹の働く老舗料亭をさらりと眺めたあと、結婚式の会場になるホテルに着いた。4人は泊まれる大部屋。ロフトがついており、ぼくと父はロフトで寝ることとなった。しばらくして母親が合流した。ホテルのレストランで夕食をとる。妹も合流してにぎやかな?食卓となった。妹は風邪をひいているらしく、あまり長居せず帰っていった。ぼくは父とホテル地下のバーでお酒を呑み、それなりに酔ってから部屋に戻った。本を読んで頭を落ち着けてから、大浴場に行って風呂に入り、ぐっすり眠った。

翌日は7時過ぎに起きて朝食をとったあと、父が散歩に出るというので、ぼくもすこし遅れてホテルを出た。散歩をするつもりはなかったが、すこしばかりギターの練習がしたかったので、持ってきていたギタレレを近所の公園で弾いた。

昼前に身支度を整えてから式場に移った。親族顔合わせののち、教会風の建物で式が行われた。神父は登場せず、司会者がはきはきと進めていった。父親に連れられて妹が入ってきた。知っている顔ではあるが、しかし同時に花嫁でもあるのだった。ぼくには知らない妹の世界というものがあるのだろう。

披露宴に移った。ぼくはのんびり呑んだり食べたりしていた。祖母が途中で妹から花束をもらい、涙していた。最後に両家の両親が新郎新婦の横に並んだ。ぼくはなぜか、着物を着て、なで肩の(自分の)母親を見て、「あぁ、昔の日本人なんだなぁ」と思った。

4時になるころ部屋に戻ってきた。その後父とすこし市内をぶらついたすえ、ファミレスに入って夕飯を食べた。「もうこっちに来る用もあまりないな」と父は言った。妹は東金で暮らしていくのだろう。

翌日、9時ごろホテルを出発し、東京駅でお昼ごろ祖母と父を見送ったあと、ぼくはいつものように帽子のつばの下からややにらむように前を見つめながら、駅の地下街を歩いていた。

音楽のよろこび

自宅があまりにも寒いので近所のネットカフェに避難した。自宅でも暖房をかければそれなりにあたたかいはずだが、個人的に暖房は禁じているので、夜はかなり冷える。ホットカーペットだけは使うようにしているので、押し入れのある部屋でうずくまって本を読んでいることはよくあるのだが、そろそろそれも限界な気がしてくる。

会社の新年会は今週の金曜日だと思っていたが、本当は来週の金曜日だった。ギターで1曲ひくことになっており、ほぼ毎日のようにアコギかギタレレで練習をしている。素直に楽しいのだが、なかなか上達しないのが歯がゆい。YouTubeを見るときもミュージシャンのギターばかり見ている。パソコンのキーボードをたたいていても、なにやらコードをおさえているような気がしてしまう。

作業に集中するために避難したはずなのだが、夕飯を食べてThe Seekersのコンサートに見入っていた。最近 The Seekers をきくことが多い。素晴らしいバンドなので、きいたことがないかたには自信を持っておすすめしたい。オーストラリア出身のフォークバンドだ(活躍は主にイギリス)。素晴らしい音楽をきいていると、たとえ自分の演奏がつたなくても、すこしでも音楽にかかわっているというそのことだけで、意味があるように思えてくるから不思議だ。ぼくは初心者の域をまったく出ないが、音楽をやることで前向きになれる気がする。正確にいえば、音楽をやることはひとを下向きにはしない。

ちなみに、ぼくが披露する予定の曲は、RenaudのHexagoneだ。コードは2つのみしか使わないので、最初簡単かなと思ったが、そうでもなかった。やっと歌詞を覚えたので、コードチェンジをもうすこしスムーズにしたい。

2日前の夜に酔っぱらったままレポート用紙に恋の詩をかきつけていたが、ここに出すのはためらわれる。ある女性に宛てて、「あなた」とかいているうちに、「あなた」の指すものが「あなた」ではなくなっていくのである。

たばこをやめようとしていたのに、今日も朝とおやつで2本吸った。そういえば後輩から更に2本もらった。ぼくはぼくの好きなひとにきいてみたいのだ、「どうすればたばこやめられますか」と。ぼくの期待する答えは、「すいたくなったらそのたびにわたしに声をかけて。わたしそのたびにあなたにキスしてあげるわ」である。おそらくこうした答えはだれからも得られぬだろうから、ぼくはあえてきいたりしない。たばこをやめれば彼女ができるかなと思い、中断することもあったが、別にやめたからといって彼女はできないと思う。そう思うとまたすい始めてしまう。そのくりかえしだ。ぼくははやく「 あなたにキスしてあげるわ 」といわれたい。

「ひとりよがりだ」と思うとき、自分に生きる意味はないと思ってしまう。おもしろい。だってひとりが好きだからだ。ひとりが好きなのに自分がひとりであることに気づくと絶望する。べつにひとりだってかまわない。ひとりだってかまわないが、そばにだれかいる(ような気がする)と思えればいい。自分にはだれもいない、そのように思うことがとてつもなく心には負担なのだと思う。

「冬もそのまんなかあたりなのでしょうか。ご連絡もせずにすみません。どのようにあなたをお誘いすればよいのかわかりません。いや、白状すれば、自分があなたを誘うきっかけがないのです。前回からわたしはパワーアップしたのかときかれると、いや、そうでも、と答えるほかありません。わたしが与えられるものは多くありませんし、わたしがすすんで差し出すものは、大抵のひとにとって、特に必要としているものではないでしょう。あなたがわたしに会って、なにか得られるものはあるのでしょうか。いや、なにも得られなくてもかまわないのかもしれませんが、それであなたは満足なのでしょうか。わたしはあなたに会えたらそれで満足です。ほかに望むことはありません。でもね、こういうふうにお誘いしたら、あなたが困ってしまうのではないかと思って、こういうふうには誘えないのです。だからわたしは、楽器の練習をしたり、お茶を淹れる練習をしたりしているのです。あなたがわたしのことをさっぱり気にかけていないということもあるかもしれません。でもわたしは、あなたのことを考えながら過ごす時間を大切に思うでしょう。なぜだかよくわかりません。好きという言葉がしっくりこないと思うことがあります。好きという言葉は、わたしの気持ちをあまりにも要約しすぎです。べつに好きじゃねぇよ、とか思ったりします。告白なんかしたくありません。わたしはうそが苦手です。わたしの告白はさっさとわたしのもとを離れて空に昇っていくでしょう。わたしはわたしの気持ちが音にでもなって、いつも体から鳴り響いてくれたらいいのに、と思います。」

B79

いつしかわたしはスマホのメモに自分のスリーサイズを残していた。男性が胸囲を測ることにはあまり意味がないと思うのだが、たぶん下着を買うときのために測ったのだろう。

昨日は初出勤日で、早速おつかれになったわたしは、帰宅してギターの練習と洗濯を済ますなり、行きつけのバーに飛んでいき、ひとりウイスキーを呑んでストレート酔いした。わたしは最後に頼んだ酒を飲み干すことのないまま、体調に危機を感じ2時ごろ帰宅した。

本日は正午に起きたのだった。例によってスパゲティをゆでる。瓶詰めのトマトソースをかけて食べた。本当はMCTオイルを使って完全無欠コーヒーもどきを飲むつもりだったが、空腹には勝てない。MCTオイルは未開封のままになった。

自転車をそうじする。そうじのついでに増し締めも行う。普段乗りの折り畳み自転車も、空気を入れ直し、チェーンに油をさす。

そのまま折り畳み自転車で買い物に出かける。まずメガネ屋でフレームの調整。続いて楽器店でストラップとカポタストを買った。クジ引きでタンブラーが当たった。ラッキーだ。

リサイクルショップで茶器を探す。フレンチプレスのコーヒー器具は置いてないようでこれはパス。くびれのあるティーポットとピーターラビットの絵柄のカップを購入。あまり安くはなかったが、これは客人用なので出費には目をつむる。

喫茶店でエスプレッソを呑む。小銭も消えた。日没近くに帰宅した。

皿洗いを済ませ、アコギにストラップをつける。楽譜を机の上に広げ、立って弾き語りの練習をする。来たる金曜日には会社行事の出し物で本番を迎える。簡単な曲を選んだつもりだが、あまりスムーズには弾けない。そう、わたしは不器用。DとEmしか使わないにもかかわらず、EmからDにすぐ移れない。悔しい。部屋が寒い。台所の横の窓が開けっぱなしだ。ああ、わたしの練習も筒抜けだったか。

W68, H85

明日は、

  1. クルマの洗車
  2. サイクリング
  3. 自転車店に寄る
  4. クリーニング店でワイシャツを回収
  5. 佐野のイオンで紅茶を買う

予定だ。

昨日の酒がこたえている。飲み過ぎはいけないと思いつつ、しばらくするとまた飲み過ぎる。あほである。

「なぜたばこを吸うかって?ぼくがひとりだからさ。もしだれか本当にぼくと一緒にいたらぼくはたばこを吸わないだろう。今はこの煙に相手をしてもらっているのさ。どうかぼくにかまわないでくれ。なに、たばこの話はごめんだよ。」

今年が去年になるとき

今日は12月31日だ。ふりかえりでもしてみようと思う。

2018年の年明けは福島を目指す徒歩旅行を続けていた。2月は河原で自転車に乗っていたように思う。徒歩旅行は3月3日に須賀川までたどり着いて一区切りとした。暖かくなったためだ。

2月に会社の先輩からギターをもらい、6, 7年ぶりにギターに触れた。なかなか上達しなくてやめたくらいなので、今度はどうかなと思っていたが、意外と面白く、下手ながら今日まで続いている。

3月おわりに会社では新入社員が入社し、すこし社内の空気がなごやかになった。

4月初めに初レース。結果は散々で、その後練習に本腰を入れた。7月のレースでいつもより成績が上がった。

サイクリング(ツーリング)では、5月から8月にかけ、足尾・日光方面に繰り返し出かけた。いろは坂、金精峠、ともに走りきった。あまりスケジュールにゆとりはなかったが、いい経験だったと思う。

そういえば本ブログは5月に始動した。レンタルサーバーと独自ドメイン取得で、はじめて自分のホームページのためにお金をかけた。好きなことを気兼ねなく書こうという気持ちと、本物の記事・作品を書こうという気持ちで始めた。今でもその気持ちに変わりはない。なお、統計データも確認しているが、基本的にバズってはいない。

9月終わりに風邪をひき、そのまま競技に関してはオフシーズンにひとり移行した。好き勝手にたばこを吸い、好き勝手にウイスキーを呑んだ。このころ仕事がいやになり、やめる計画をしていたが、海外の景色でも見てから考えようと思い、フランス行きの航空券を予約した。

10月はレンタカーでマニュアル車を運転し、フランスでの運転に備えた。国際免許も取得した。サイクリングクラブの月例走行会を最後に、ロードレーサーを乗り納め、会社の後輩に無期限で貸し出した。

11月は中旬からフランス旅行に出かけた。詳しくは別記事を参照願いたい。旅行中は、いわば毎日が戦いのため、死にたいなどと思う隙がなかった。それが自分にはよかったのだと思う。帰りに成田に着いたときのまぶしさと言ったらそれは恵み以外のなにものでもなかった。

12月は年末のお仕事に取り組みつつ、徒歩旅行を再開。2回目の遠征で二本松まで到達。4月に頼んでいたロードレーサーがようやく完成し、晴れて納車。フランスで買った楽譜を前にギターの練習をしていたら一年も終わりにさしかかってしまった。

2017年は、諸事情で夏の最中からあれこれと苦行を始めていた。死んでしまいたかったのだが、自分の自殺には特に意味がないと思っていたから、「死んだ」と言えるくらいに自分の心と体を痛めつけてやろうと思った。2018年になっても苦行は続いたが、長かった自分抹殺計画にもいよいよ一区切りついたと思う。結局、自分で楽しめない苦行には取り組んでもしょうがない。人生は苦行かもしれないが、面白くない苦行なんてうそっぱちである。

わたしは、わたしの言葉を借りるなら、「あたりまえのことが幸せなのかもしれない」という到達点を一度はその目で見たのであった。

人間は永遠には存在しえない。ひとりの人間は、ゆえに永遠の香りをわずかでも感じられれば十分なのではないか。わたしはこの世を愛するが、この世に全てを求めているわけではない。この世というフィクション、そこに至高なるものの残骸を見いだせるかどうか、それが問題なのではないだろうか。

なにひとつなしえない

土、日、月、火とお休みである。自転車が手に入ったのはよかったが、新車ということ(あちこち調整が必要)、また予備タイヤが準備できていないことから遠出は避けたほうが無難だ。歩いて徒歩旅行の続きをするつもりでいたのだが、先週の傷(足のマメ)がいっこうに治らず、とても長距離歩ける状況ではない。こうなるとなるべく家にこもっているのが得策ということになる。あぁあぁあぁ。部屋にずっといるのは苦手である。

昨日ロードレーサーの納車日だったのだが、乗って20分くらいでさっそくパンクした。チューブラータイヤで、まだ予備を持っていなかったので、そのままお店に引き返し、予備の車輪を借りてそのまま帰宅した。今日の午後からすこしばかり、パンクに気を付けながらそろそろと乗り、その後自転車店に向かい修理の済んだ車輪を受け取ろうとした。店主と話をしているうちに、いつのまにやら雨が降ったらしく、路面は濡れていた。「またパンクするよ。雨上がりはよくないね。特にチューブラーは。」店主のアドバイスに従い、クロスバイクを借りて帰った。チューブラータイヤはたいへんだなぁ。

帰宅して映画のつづきを見ようと思ったら、昼前に全て見終わっていたことに気づいた。『バーダー・マインホフ 理想の果てに』である。ドイツ赤軍の誕生から主要メンバーの死去までを描いた歴史映画だ。わたしはウルリケ・マインホフという女性の人生に興味があったのでこの映画を買い求めて見てみた。そもそも彼女のことを知ったのは、映画『白いリボン』の監督のミヒャエル・ハネケ氏が、インタビューでマインホフに言及していたのがきっかけだ。先日、床屋で話をしながら髪を切ってもらっていたときに、わたしは誤って『白いリボン』の監督はウルリケ・マインホフであると口にし、帰宅してからマインホフはテロリストのほうだったことに調べて気づいたのだった。わたしは急にこの女性に興味が湧き、なにか書籍でも取り寄せようかと思った矢先、2008年にドイツ赤軍に関する映画が出ていたことを知り、ぽちっとDVDを注文したのだった。わたしの感想は、不謹慎かもしれないが「ちょうおもしろい」であり、ドイツ赤軍とはなんだったのか、マインホフはどのようにしてテロリストになったのか、彼女は最期になにを考えていたのか、などの疑問・関心が根を張り始めた。

今年もその終わりが近づく。あまりじたばたしないほうがいいのかもしれない。ここへきてわたしの体も心もやられ気味だ。片思いに油を注いで燃えたぎる詩を書きあげる余裕もない。詩も書けないほどにわたしは枯れている。書いてたまるかと思うと同時に書かないでたまるかとも思う。わたしに同志はいないしこれからもいないと思う。わたしはウイスキーの瓶を抱いて眠ろう。

新しい自転車

館林駅にいる。太田行きの列車がなかなか出発しない。

やっとオーダーしていた自転車が仕上がったと今週のはじめに自転車店から連絡があった。今日の午後取りに行こうと思う。今現在、所有していたロードレーサーを会社の後輩に貸しており、たぶん戻ってこないので、自転車貧民になっていた。が、新しいロードを手にすれば水を得た魚となるだろう。スポーツ自転車が自分の根幹に占める割合は決してすくなくない。

  • 2007 Bianchi 1885カーボンバック購入
  • 2010 Bianchを大学の友人にゆずり、BH G4を購入
  • 2011 Anchor クロスバイク購入
  • 2016 GIOS ピストバイク購入
  • 2017 クロスバイクを友人にゆずる
  • 2018 ピストバイクを知人にゆずる、BHロードを後輩に無期限で貸す

今回でロードは3台目、スポーツバイクとしては5台目となる。自分の欲しいバイクがどういうものかはわかっているつもりだ。欲しいバイクと実際に買うべきバイクにずれがある場合もあるけれど(欲しいバイクは実用的でないこともある)。

今回のロードは、レースでの使用とか、サイクリングでの耐久性とか、一応考えたけれど、自分の趣味を最優先した。ぼくは1991年生まれだが、この前後5年くらいの自転車のデザイン、たたずまいがたまらなく好きなのである。端的には、スチールフレーム、ダブルレバー、ノーマルホイール、チューブラータイヤでの構成である。ブレーキブラケットは黒ではなく白が望ましい。

  • フレーム: サンエス JFFロード
  • ブレーキ: シマノ105
  • 変速機前後: シマノ105
  • リム: アンブロシオ モントリオール
  • 変速レバー: ダイアコンペ 11s対応

ぼくが妥協したのは2点だ。ひとつは、ノーマルステム、もうひとつは、フレームのラグである。これはフレームの仕様なので仕方がない。サンエスのフレームのシート角は72度だが、他社フレームでここまで寝ている角度のものを見つけることができなかった。ヨーロッパのフレームはシートが立っている場合が多い。脚の長さの比率、つまり膝上が長いか膝下が長いかの違いだと思うが。ぼくはお尻から踏みおろすようにペダリングすることが多いので、サドル位置はなるべく後退させたい、つまりシート角はすくなめがいい。スチールフレームの場合、74.0度もしくは74.5度が市場においてはメジャーのようだ。このあたりの好みは、しばらく乗って体感できるものだと思う。

完全に自己満足向けの記述になってしまった。もうすぐクリスマス。彼女はいない。彼氏もいない。自転車はある。ハッピークリスマス!

ファミレスJ

「てんちょー、おなかへったー」

バイトの女の子の声が筒抜けである。客はわたしひとり。結城のファミレス。

小山のリサイクルショップでコートでも買おうと、帰宅してからクルマを出した。リサイクルショップで、コートのようなものを購買したあと、調子に乗ってお気に入りのJに来てしまったのだ。玄関は従業員の出入りしかない。ゴールデンタイムだというのに、今日はファミレスを避けるべき理由がなにかあるのだろうか。静かすぎてボタンを押すことすらためらわれる。

パリではジレ・ジョーヌ運動が続いているようだ。ぼくは運がいいといろんなひとから言われた。そうかもしれない。ぼくは呑気なまま日本に戻り、呑気に仕事をしていた。再びどんよりと腰を曲げてバイパス沿いを歩いて通勤した。おれはおれはおれはおれは。評価の関係で上司と面談した。思ったよりよい評価だった。

ケーキでも食べようかな。

スーパーで食材を買って自炊しようとか思いながら、全くせずに外食を繰り返している。ばかである。

外は真っ暗。冬はみんなどこに行ってしまうのだろう。週末にかけて冷え込むと聞いた。部屋のなかでコートでも着よう。寝る前にウイスキーを呑もう。

ねむくなる。読みたい本が増えていくが、ぼくのキャパが追いつかない。今一番熱心に読んでいるのは『コーラン』だ。これはティエリーさんのアドバイスによる。日本語で読んでいるのだが、やはりアラビア語を勉強してオリジナルに挑戦したい。

最近書くことの不可能性について思いをめぐらしている。書くことはぼくの手に余る。書いても書いても意味はない。だが書かなくては書いたことにはならない。詩を書かない者が詩人を名乗る資格はない。資格を重視するのではない。書かなくては書くということが成されない。頭のいいひとほど書く量はすくなくて済むだろう。書くことはばかげたことでもある。ぼくはばかであることは自慢の種にはならないと思っているが、しかしぼくはしょうもない人間なので、同じようなことを何度でも書いてしまうのだ。もっと勉強しろと自分に言い聞かせているが、ぼくの頭のなかみはそうそう簡単に変わらないのである。

そんなわけであばよ

いよいよ明日出発となってしまった。風呂上がりに爪を切り、荷物の最終チェックをする。革ジャンにつける毛の裏地をカバンに押し込んだらもうこれ以上荷物が入らない。辞書と本をあきらめるか、ぬくもりをあきらめるかだ。

なにやら緊張している。海外は6年ぶりの2度目。前回は自転車旅で3週間くらい行っていたが、今回は主にクルマで1週間。今回のほうが不確定要素は少なそうなものだが、実のところクルマには苦手意識があり、初の海外運転にびびっている。これはもう尻尾を巻いてひきこもるか、覚悟して乗るかのいずれかだろう。明日はフライトで、明後日はのんびりデーなので、本格決戦は月曜からである。やったことのないこと、慣れていないことをするのは骨が折れるものだが、たぶん骨を折りに行くのだから甘んじて受け入れるしかないだろう。

表向きはドライブをしに行くのだが、わたし自身は書きものをしに行くつもりでいる。なにを書くのか知らないが。ラブレターを書いてはいけない。これはだめだ。せめて詩を書こう。散文でもよい。わけがわかってもわけがわからなくてもよい。

せっかく海外に行くのだ。日本でのわたしのねばつく妄想はいったん全て破棄する。わたしが行うわたしの挑戦はいずれも、自殺の代替行為である。「死ぬくらいなら○○してやるぞ」という思いで今日まで生きてきたような気がする。わたしは死ぬのと同じくらいわたしを鼓舞してくれるものに触れようとあがいてきたのだ。わたしが自殺しないのは、自殺が自分の自分に対する陰謀だと思っているからにすぎない。自分などちっぽけなものだ。これに騙されるのはいいが、騙されて死ぬのはいけない。生きるというのが真に死ぬことなのだ。死ぬことで生きようとしてはいけない。

あと少し本を読んだら、ウイスキーをなめて、寝よう。

以前、不特定多数の人間に向けて書くのはむなしいとわたしは嘆いた。しかし、だれかのために書くとはどのようなことなのだろうか。だれかのためを思いながら書くことが、そのひとのためになるのだろうか。わたしはただわたしを炙りだすだけではないだろうか。しかしわたしがわたしを突き抜けてしまうとしたら、わたしはどこにたどり着くのか。

わたしはなにを相手にして生きているのだろう。感情か、あるいは魂か。運命とは主体にとって味気のないものである。しかし主体が自身を駒だと気づくとき、そこに、(中断)

カウントダウン

本日は先日土曜日出勤した分の埋め合わせでお休みだった。夕食に外で食べたカレーが重かったのかお腹がやられ気味だ。なぜか少し前に書いた詩にドイツ語でコメントがついていたので英語で返した。なぜわざわざ日本語のサイトを見に来ているのか。

9時半に起きた。7時にご飯が炊けていた。レトルトカレーをあたためてかけた。ミネラルウォーターで炊いたご飯はおいしい。コーヒー豆を挽く。朝の支度もろもろを終えてから、自転車に乗って出かけた。

ホームセンターで革製品の手入れクリームを買い、そのまま例幣使街道で太田に行った。某メガバンクの支店ないしATMが足利にはないので、コンビニで済ますか太田に行くことになる。ちょうどお昼どきでぽかぽかと暖かかった。折り畳み自転車で行くのにもちょうどいい距離だ。

帰ってきてからさっそく革ジャンにクリームを塗りつける。撥水効果が上がるらしいので時間をおいて3度塗った。革製品の手入れは、休日の手休めに最適だ。中古で買ったもので、色落ちもかなりしているが、なんとなくツヤが出てきた。これでしばらく使えるだろう。

部屋の掃除機をかける。台所の横の窓枠もふく。あちこちの窓を開け放ち、換気をする。午後の日差しが部屋を突き抜ける。

本を読んでいたら日が暮れた。5時にもならないのに。すこしばかりギターを弾いた。散歩をしたい気分になり、めがね屋まで歩こうと思った。帰宅ラッシュがやや落ち着くころ、街中へ手ぶらで参上し、めがねを調整してもらった。そのまま夕飯でも食べようかと思ったが、ファミレスが混んでいたのでそのまま帰路についた。

自宅を通り越してカレー屋に行き、ビールを呑んだ。店主が「寒くなると客がすくなくてだめだよ」と言っていた。そんなものだろうか。近所の中華屋のおっかさんも似たようなことを言っていた。冬は部屋にこもりがち、ということだろうか。スケールは違うが確かに冬のほうが航空券は安い(観光者は減る)。

月曜日に中古店で購買した真っ赤なパーカーを着ている。セーター並みの保温性だ。こういう服が何着かあれば冬も乗り切れるだろう。同じく中古のサムソナイトのブリーフケースを、旅行用にチョイスした。ブリーフケースというくらいだから、パンツを入れておけばよいのだろう。とはいえ荷物はバッグ1個には収まらないだろうが。

カウントダウンである。もうあと2日で出発だ。殊更にすることはないものである。

ル・アーブルへ行こうよ

Wi-Fiが相変わらず地獄のような遅さである。夜はほとんど使えないレベルである。一体どういうことなのだろう。非常に困る。快適なインターネットがほとんどぜいたく品のように感じるほどだ。

そんなことはどうでもいいのかもしれない。ノートパソコンをじゅうたんが敷いてある寝室に移し、あぐらをかいてこの記事を書いている。この部屋のほうがものが少なくて集中できる気がする。今は自転車も置いていないので窓際ががらんとしている。

フランス旅行までおよそ1週間となった。クルマでブレストまで行くことは決めているが、その後はどこに行こうか迷っていた。往路と同じルートでパリまで戻ってもよいのだが、なんとなく物足りない気がしている。ブレストからル・アーブルに抜け、ルーアンを経由してパリまで戻ったら面白い気がする。ル・アーブルは主要な港湾都市で、セーヌ川の河口がある。セーヌが果てるところをぜひ見てみたいと思った。ルーアンは史上最初の自転車レースといわれるパリ・ルーアンのゴールである。わたしの気持ちは復路寄り道で固まった。

荷物をどこまで削ろうとか、携帯など通信費はいくらになるだろうとか、運転がうまくできるだろうかとか、不安の種は尽きない。生きて帰ってきたいという、その思いだけはある。まだ日本でやりたいことや言いたいことや書きたいことがあるので、ここで死なれると困る。どうしてもというのなら全てを捨てるが、一体どのようなどうしてもがあるのだろう。

変わらず毎晩自分のために2時間設けている。意外と続いているので軽く驚きだ。昼間少し眠い。2時間遊んでいるようなものだから、生意気な行為なのかもしれないが、この時間がわたしの拠り所でもあるので、絶やさないのでほしい。わたしはこの2時間のなかで好きにやりたいのである。それもほとんどわたしの想像のなかだけで。

昨日今日と、たばこを抜いたので頭が飢えている。わたしはこの飢えを利用して仕事をしていた。明日も吸わないつもりだ。

どうせ死ぬという表現はあまり好きではないが、どうせかどうかは抜きにして死は誰しもに予約された最後の行為である。とはいえ、そこから絶対的に導き出される結論はない、とわたしは考える。死ぬからやらなければいけないことは、決まっているわけではない。死ぬからやってもいいことも、決まっているわけではない。死のうが死ぬまいが、やることはやる。そして死のうが死ぬまいが死ぬのだ。