カウントダウン

本日は先日土曜日出勤した分の埋め合わせでお休みだった。夕食に外で食べたカレーが重かったのかお腹がやられ気味だ。なぜか少し前に書いた詩にドイツ語でコメントがついていたので英語で返した。なぜわざわざ日本語のサイトを見に来ているのか。

9時半に起きた。7時にご飯が炊けていた。レトルトカレーをあたためてかけた。ミネラルウォーターで炊いたご飯はおいしい。コーヒー豆を挽く。朝の支度もろもろを終えてから、自転車に乗って出かけた。

ホームセンターで革製品の手入れクリームを買い、そのまま例幣使街道で太田に行った。某メガバンクの支店ないしATMが足利にはないので、コンビニで済ますか太田に行くことになる。ちょうどお昼どきでぽかぽかと暖かかった。折り畳み自転車で行くのにもちょうどいい距離だ。

帰ってきてからさっそく革ジャンにクリームを塗りつける。撥水効果が上がるらしいので時間をおいて3度塗った。革製品の手入れは、休日の手休めに最適だ。中古で買ったもので、色落ちもかなりしているが、なんとなくツヤが出てきた。これでしばらく使えるだろう。

部屋の掃除機をかける。台所の横の窓枠もふく。あちこちの窓を開け放ち、換気をする。午後の日差しが部屋を突き抜ける。

本を読んでいたら日が暮れた。5時にもならないのに。すこしばかりギターを弾いた。散歩をしたい気分になり、めがね屋まで歩こうと思った。帰宅ラッシュがやや落ち着くころ、街中へ手ぶらで参上し、めがねを調整してもらった。そのまま夕飯でも食べようかと思ったが、ファミレスが混んでいたのでそのまま帰路についた。

自宅を通り越してカレー屋に行き、ビールを呑んだ。店主が「寒くなると客がすくなくてだめだよ」と言っていた。そんなものだろうか。近所の中華屋のおっかさんも似たようなことを言っていた。冬は部屋にこもりがち、ということだろうか。スケールは違うが確かに冬のほうが航空券は安い(観光者は減る)。

月曜日に中古店で購買した真っ赤なパーカーを着ている。セーター並みの保温性だ。こういう服が何着かあれば冬も乗り切れるだろう。同じく中古のサムソナイトのブリーフケースを、旅行用にチョイスした。ブリーフケースというくらいだから、パンツを入れておけばよいのだろう。とはいえ荷物はバッグ1個には収まらないだろうが。

カウントダウンである。もうあと2日で出発だ。殊更にすることはないものである。

自己実現批判

そもそも自己実現などという
言葉が矛盾を含むのだが、、、

つまりあなたは
昼間本職で
自己実現をしていない
ということ
夜な夜なあなたは
自己実現へ向けて
時間を捻出する
なにか作業をする
それでは一銭ももらえない
のに
音にもならない反抗
いつかあなたはつぶれる

自己実現とは
もうひとつの
生活への侵攻
なのでは
とつい疑ってしまう

3番目の道

楽して天国へ行こうとする人
には天国の味はわからない

努力して天国へ行こうとする人
はたぶん地獄に耐えられない

努力して地獄へ行こうとする人
は地獄で満足できる

楽して地獄へ行こうとする人
は地獄でも楽をする

風船

おまえ
好きなひとがあるだろう、ちがうか
おれには
おまえが真っ赤な風船をストローで
膨らましているのが見えるよ

おまえは
そのひとに好きだとか
言いたいのかもしれないね
言うのが勝負だと思っていやしないか

そりゃ
おまえには度胸というか図太さがあるから
一輪の花でも渡しながら好きだとかなんだとか
言ってしまうだろうよ
けども
おまえ、もし黙っていたらどうなる
毎朝毎晩、おまえはその赤い風船を
膨らますのか

本当のことを言うよ
おれはおまえのその風船を
針で一思いに割ってやりたいよ
おまえに希望の光が見えるのなら
おれはその目をつぶしてやりたい

おまえはよく
大事なものは捨てなければいけないとか
哲学者ぶっていたね
なにを捨てたんだい
胸に芽生えたちいさな思いすら
捨てられないのかい

ル・アーブルへ行こうよ

Wi-Fiが相変わらず地獄のような遅さである。夜はほとんど使えないレベルである。一体どういうことなのだろう。非常に困る。快適なインターネットがほとんどぜいたく品のように感じるほどだ。

そんなことはどうでもいいのかもしれない。ノートパソコンをじゅうたんが敷いてある寝室に移し、あぐらをかいてこの記事を書いている。この部屋のほうがものが少なくて集中できる気がする。今は自転車も置いていないので窓際ががらんとしている。

フランス旅行までおよそ1週間となった。クルマでブレストまで行くことは決めているが、その後はどこに行こうか迷っていた。往路と同じルートでパリまで戻ってもよいのだが、なんとなく物足りない気がしている。ブレストからル・アーブルに抜け、ルーアンを経由してパリまで戻ったら面白い気がする。ル・アーブルは主要な港湾都市で、セーヌ川の河口がある。セーヌが果てるところをぜひ見てみたいと思った。ルーアンは史上最初の自転車レースといわれるパリ・ルーアンのゴールである。わたしの気持ちは復路寄り道で固まった。

荷物をどこまで削ろうとか、携帯など通信費はいくらになるだろうとか、運転がうまくできるだろうかとか、不安の種は尽きない。生きて帰ってきたいという、その思いだけはある。まだ日本でやりたいことや言いたいことや書きたいことがあるので、ここで死なれると困る。どうしてもというのなら全てを捨てるが、一体どのようなどうしてもがあるのだろう。

変わらず毎晩自分のために2時間設けている。意外と続いているので軽く驚きだ。昼間少し眠い。2時間遊んでいるようなものだから、生意気な行為なのかもしれないが、この時間がわたしの拠り所でもあるので、絶やさないのでほしい。わたしはこの2時間のなかで好きにやりたいのである。それもほとんどわたしの想像のなかだけで。

昨日今日と、たばこを抜いたので頭が飢えている。わたしはこの飢えを利用して仕事をしていた。明日も吸わないつもりだ。

どうせ死ぬという表現はあまり好きではないが、どうせかどうかは抜きにして死は誰しもに予約された最後の行為である。とはいえ、そこから絶対的に導き出される結論はない、とわたしは考える。死ぬからやらなければいけないことは、決まっているわけではない。死ぬからやってもいいことも、決まっているわけではない。死のうが死ぬまいが、やることはやる。そして死のうが死ぬまいが死ぬのだ。

遺書か恋文か

恋文として
遺書をかきたい
好きだとは
ひとことも明らかにせずに

ぼくはさっきまで燃えていた
たばこの火をいつまでも
思い浮かべるようにして
あなたの面影を
すでに目の前からは
消えてしまったものとして
ぼくの視界のなかだけに
投影し
その影を見つめながら
だがしかしぼくは

たばこが舌にしみて
ヒリヒリする
絨毯のうえにあぐらを
かいてギターを弾いていると
父親から電話があった
ぼくがあまり自転車に乗っていないのに
父親は毎日乗っているらしかった

ひとりだひとりだひとりだ


死んだらみんなと一緒ですか
そうは思いません

ぼくはぼくの書いたものを置いて行く
この世に
だけどぼくは最期に
この世ごと置いて行くのだ
書きものをする意味などあるのだろうか

あなたは
まぼろし

この世はなんだろう
かつて生家のクローゼットに
あったビデオテープのなかの
録画された映画みたいなもの
かな

死んだらどうなるみたいな話は
あまり好きじゃない
さよならしたらさよならじゃないか
だけどでもだがしかしだからゆえに
この世が唯一無二だからこの世が
意味に満ちあふれているということに
素直にうなずけもしない
現実的な現実がぼくの骨身にしみるという
嘘7割本当3割の水割り

まだ
本当?
始まっていない
とするならば
今日のおしまいに
君は嘆いて地団駄踏むか
嘆いて地団駄踏むとき
君の時間は進むのだ
進め目を開いて新しい血を
背中に流して

一杯のコーヒー

コーヒー、呑まない?
いや、呑みませんか
と言って
おもむろにミルを出し
その場でコーヒーを挽きたい
外濠からビルを眺め
携帯電源でお湯を沸かしたい
わたしはあなたに
あなただけのために
コーヒーをつくって差し上げたい

わたしはわたしを捨てたい

夜もだいぶ冷えるようになった
窓をうっすらと開けて寒さを実感する
まだ秋
冬を越せるだろうか
鬱にならないだろうか
風邪をひかないだろうか
仕事を続けられるだろうか
人間を続けられるだろうか

ひっきりなしに電子たばこを
くわえている
本を読んでいるのかたばこを
くわえているのかわからない
書くこと以外の全てを捨てようと
思ったけれど
わたしにはなにも捨てられなかった
いやむしろ
わたしはわたしを捨てたい
でもそれはできない
わたしを捨てるのは難しいようで
簡単なのだと思う
わたしはわたしが嫌々でも
生きればいいと思っている
わたしに希望などないが
わたしはあなたに捧げたいものがある