日記という思い出 Jan. 11th

なぜかスマホの電源を切っていたのでMacから書くことにする。

朝は10時前に起きた。微妙な時間だが、特に予定もなかったので、起きる理由も特になかった。罪悪感のなさでいくとギリギリのラインだろう。スパゲティをゆでてガーリックソースをかける。粉チーズは切らしている。

本を読みつつ朝のルーチンをこなす。何が朝のルーチンだったかは思い出せない。皿洗いとか、歯磨きとか。

昼過ぎにパンを買いにちょっと外に出て、まあいい時間なのでそのままパンを食べ、コーヒーを淹れる。

部屋の掃除。寝室(そこで寝てはいない)も含め、ざっと掃除機をかけてやる。掃除は嫌いだが、床に物を置きがちなので、リセットするにはちょうどいい。換気をしつつ、ほとんど使っていない旧PC(Ubuntuが入っている)を起動し、たまっていたアップデートを走らせる。

気分が塞ぎ込んできたので、散歩に出ることにする。散歩帰りにスーパーに寄ったら、思いのほか人がたくさんいてびっくりした。まぁスーパーに寄っているぼくもぼくだが、みんな考えることは一緒なのかもしれない。

ここ数日、急にアイスランド萌えとなっており、オンラインのアイスランド語コースを受講する。パンデミックと語学の相性はそれなりに良いかもしれない。シモーヌ・ヴェーユの『根を持つこと』のフランス語版を読み進め、夕飯タイムとなった。

結局ビールを呑む。どうにも酒をスキップできない。

起きていてもすることがないので、そろそろ寝ることにする。もっと正直に言えば、起きているのがつらい。起きていてもろくなことをしていないので、寝て過ごす罪悪感といい勝負である。

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